2024年11月25日( 月 )

カルロス・ゴーンによる日本の司法制度批判~森法相の2回目のコメントについて

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森法相の追加コメント

 カルロス・ゴーンによる日本の司法制度を批判した記者会見について、森法務大臣は9日未明に続き、同日2回目の記者会見でコメントをだした。1回目のコメントに比べると、より一層、支離滅裂で、このような追加コメントを英文や仏文に翻訳して外国に配布することは、かえって諸外国から、「馬鹿にしているのか」との反発を食らうことはもちろん、お粗末な論理で日本の司法行政・刑事司法が運営されていることが暴露された結果となるのは明らかである。

 国民は、こんな支離滅裂な論文を外国に平気で配布する内閣であることを自覚し、日本が世界の笑い者になることを不本意ながら甘受することになる。これはもちろん、内閣(政治家・官僚)が国民を馬鹿にしていることが基本にある。

 ここで森法相は「ゴーンの批判的主張は、多くが抽象的、趣旨不明、根拠をともなわないものであることを指摘したい」と主張している。これはそっくり自分に当て嵌まっていることがわからないのだろうか。

 要旨「人質司法との批判はあたらない」と主張するが、具体的理由、ゴーンが具体的に主張した事実に対する反論は何もなく、これまた、理由・根拠不明の主張である。

 有罪率99%の日本の刑事司法制度では公平な裁判を受けることができないとのゴーンの主張にたいして「日本の検察は有罪の見込みが高いものだけを起訴することの結果であり、高い有罪率を根拠に公平な裁判を受けられないという主張は失当である」と主張する。

 この議論の根本的な誤りは、有罪率が検察官の有罪見込の精度に依存しているという前提論にある。

 ゴーンは日本の裁判所が、検察の主張をほとんど盲従的に受け入れ、反対に被告人の主張をまったく受け入れない裁判官の訴訟指揮が不公正不当と訴えている。しかも、その事実を逮捕拘留から始まる人質司法で強く体験しているから主張するもので、人質司法と高い有罪率は因であり果であるという認識に基づいた主張である。最初から議論はまったくかみ合っておらず、それさえ理解しない森法相のコメントが世界に受け入れられることは皆無である。

 「取調べが弁護人の立ち会いがなく長時間におよぶ」という批判にたいし「被疑者には黙秘権があるとか立会人なしの弁護人との接見の権利がある」と反論する。まったく論理的な反論になっていない。また「適宜休憩や録画記録の事実」を主張するが、まったく意味のない反論である。

 検察が公判を引き延ばし、判決まで5年以上かかるのは問題であるとの批判にたいしては、「検察は公判手続きが速やかに進むようさまざまな努力をしている」と反論する。これが反論としては成り立たないことは小学生にもわかる。こんな児戯に等しい反論を諸外国に頒布すれば、頒布をうけた諸外国が呆れかえるのは必定である。

 保釈中に妻と会うことを禁止するのは人権侵害との批判に対して「逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがなければ特定者との面会制限などはなされない」と反論する。

 逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれを主張するのは検察官で、その当否を判断するのは裁判官である。

 妻との面会禁止であるから「罪証隠滅のおそれ」が裁判官にも認められた結果であるが、面会禁止の具体的理由は「口裏合わせ」という罪証隠滅行為とされる。

 具体的にはどのような「口裏合わせ」が想定されたのだろうか。すでに「口裏合わせ」がなければ有罪となる証拠が存在すれば、その証拠の存在を確定させておけば、後に、「口裏合わせ」をしたところで、矛盾が判明するだけで、偽証の証拠となる。つまり、「口裏合わせ」の対象となる証拠事実など、そもそも具体的に存在しないから、「おそれ」が存在する。

 こんな馬鹿げた理由で面会禁止するから人権侵害となるのである。

 日産や政府関係者の陰謀によって行われた捜査であるとの批判について、森法相の反論はまったく具体性がなく、その意味で反論の体をなしていない。

 ゴーンのこの主張の根拠・理由は、いまだに開示されていない司法取引の具体的内容にある。この司法取引こそ誰が見ても「陰謀」の外形を満たしている。これが開示されていないことをゴーンは陰謀だと批判している。ゴーンの主張の理由を知りながら、あえてその理由について無視し、反論しないのだから、森法相の反論は悪質で、国民を、さらに世界の人々をも欺くもので、強い非難に値する。

「ゴーンの数々の主張は国外逃亡を正当化しない」との反論について

 ここまでゴーンの記者会見を矮小化すれば、森法相の反論コメントは世界の誰にも信頼も理解もされないだろう。ゴーンの今回の記者会見は日本の残酷司法から脱出し、1人の人間として人権にもとづいて堂々と冤罪裁判を戦うために手段として形式犯である密出国罪を犯した。手段に過ぎない密出国罪を誰が本気で正当化すると思っているのか。

 事実、ゴーンは記者会見で「自分は1つの違法行為をした。しかし検察は10個もの違法行為をしてなぜ、批判されないのか」と述べている。今回の記者会見が密出国罪を正当化するために開催されたと認識理解する者はどこにもいない。

「文句があるなら日本の裁判所でいえ」という趣旨の森法相の決まり文句について。

 これはほとんど江戸時代の「御上」の常套句であり、わかりやすく言い換えれば、「問答無用!」である。長く国民はこの上意下達に飼い慣らされているため、国民のなかには、他人の事件について、何の疑いもなくこの「問答無用」論を用いる。世界の良識がこのような日本人の思考形式を理解できるはずもなく、森法相コメントは日本人が「井のなかの蛙」であることを、まさに代表して世界に発表する「恥さらし」以外の何物でもない。

【凡学 一生】

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