2024年11月25日( 月 )

【検証】「ゴーン国外脱出」~明白な陰謀の証拠(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

はじめに

 検察は会社法を知らないのではないかと一部の識者から批判を受けた。批判者は日産の誰とも利害関係のない国立大学の会社法専門の教授や元大企業の経営者である。そんな中立的立場の良識の意見さえ平気で無視する日本のジャーナリズムが、検察御用達報道機関として批判を受けて当然である。国民の耳となり目となる報道機関が腐敗しているのだから、日本は紛れもなく法治国家ではない。

 検察が会社法を知らないことを報道機関が報道しないことは、報道機関も会社法を知らないことを意味する。ゴーンが、事件は検察と日産幹部の陰謀によるクーデターだと主張することに、まったく関心がないことがそれを見事に証明している。

 会社法の初歩的知識と理解から見れば、ゴーンの主張はまったく正当である。

有価証券報告書(有報)の公表者は法人である

 世間の人は先にゴーンとケリーが金融商品取引法(金商法)違反で検挙され、あとから日産が「両罰規定」で起訴されたことを別に不自然と感じることはできない。それは国民が会社法や金商法を知らないから当然である。しかし、この遅れて起訴した法人の責任追及と、それを日産がさっさと有罪と認めて争わない姿勢にこそ陰謀の存在が証明されている。

 会社法や金商法を知らない庶民でさえ、なぜ法人としての日産はゴーンらと一緒になって検察の起訴に対して争わないのかと奇妙に感じたはずである。しかし、報道機関が何も言わないので、いつしか、陰謀の証拠を見逃してしまった。有報の公表はゴーンやケリーの個人的行為の産物ではない。日産はゴーンやケリーに対する監督責任を問われたのではない。

 検察は日産の起訴を「両罰規定」と表現して、有報の公表責任をすり替えてしまった。

 金商法の法文の規定も、まず、法人に対する行政処分が規定され、取締役の刑事処分は「付け足し」である。しかも取締役にたいする刑事処分は、金商法の本来的な行政処分ではなく生身の人間に対する刑事処分となるから、監督官庁は告発というかたちで、検察にバトンタッチする。そして最大の問題は、この場合の刑事処分をうける取締役は取締役会に出席し、公表した有報を適正なものと賛成した取締役全員である。

 従って、最低でも取締役会の過半数以上の者が「両罰規定」によって起訴されなければならない。なぜこのような奇妙な起訴が行われたか。それは検察が会社法を知らないか、故意に法の規定を無視したためである。

日産が罪を認めた実際の過程

 日産の取締役会の構成員はゴーンとケリーが逮捕起訴されても、解任されるまでは両名は日産の取締役である。しかし、日産はさっさと両名を解任した。これが第一の陰謀の証拠である。この解任は、裁判の結果を待つまでもなく、両名の有罪を認めたのであるから、裁判官より先に犯罪を認定した。違法解任は明白である。しかも同じ取締役らが先に虚偽有報を承認し、次にその虚偽有報承認の責任をゴーンとケリーだけに押し付けた外形であるのに、日本のメディアは子どもにもわかる矛盾の行為を放置した。

 ルノーがゴーンの解任を渋り、一定の期間、ゴーンを「解任」しなかった、できなかったことは、法治国家のあり方としては当然である。しかし、日本の報道機関は、ルノーがゴーンの肩をもつかのような口調でルノーがゴーンを解任しないことを報道した。

 自由の身となったゴーンは刑事裁判を争うとともに、民事裁判で、取締役解任の無効を争うことになる。どこかで見た景色である。

 そう、伊藤詩織氏が、不当な刑事司法機関の対応を批判して、民事裁判で、真実を追求した事件と構造がそっくりである。ちなみに、自由の身となったゴーンは、まず手始めに、ルノーに対する不当な解任処分を争うこととなった。同じ意味で、一層厳しい日産の責任追及がゴーンにより開始されることは時間の問題である。日産はゴーンが犯罪者であるとの主張はできない。自分で、ゴーンの違法性を立証しなければならなくなっている。立証できれば、検察はとっくの昔にやっている。証拠開示に抵抗などするはずもなく有罪判決はでている。

 日産が法人として処罰を受けるという具体的意味は、ゴーンらを含めた取締役全員の責任が問われているのだから、ゴーンらが検察の起訴に抵抗しているのと同じく、残りの取締役も起訴に抵抗するのが、条理である。しかし、何とさっさと有罪を認めた。この不条理こそ陰謀の第二の証拠である。これは会社法の立場からいえば、有罪をさっさと認め、会社がいわれもない罰金を支払ったことは、取締役の善管注意義務に反し、さらに、会社に不当な損害を与えたことになる。

 従って、むしろ、陰謀加担の取締役らが特別背任罪として起訴されるべきである。しかし起訴される気配すらない。これもどこかで見た景色である。そう、検察が公訴権を独占している結果、本来は偽証罪で起訴されるべき検察側証人が放任され、無実の検察側証人が偽証罪で起訴される、日本の偽証罪の実態である。今回は会社法の領域で公訴権独占の病理が出現した。

 なお、事件の経過のなかで、ゴーンはアメリカ当局からの法律違反による罰金処分をさっさと和解して罰金を納付した。日本の報道機関はアメリカの証券取締当局もゴーンの違法行為を認めたと報道したが、それは極めて不正確な報道であった。アメリカの当局は、ゴーンらに法律違反があると日本の政府が主張しているなら、アメリカでも有罪となる、という完全な便乗処分であり、アメリカ当局が独自に証拠に基づいてゴーンの犯罪を認めたのではない。従って、しかるべき時期にゴーンはこの罰金処分についても争うこととなる。ゴーンにはやるべきことがいっぱいありすぎて、やむなく国外脱出をしたものと思われる。

 ゴーンが罰金を支払ったことをさも罪を自認したかのごとく報道したが、これは完全な作戦としての「名誉ある撤退」にすぎない。

(つづく)
【凡学 一生】

(後)

関連記事