中国経済新聞に学ぶ~アメリカ・ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル名誉教授に聞く 日中関係を処理するカギは果たしてどこに(後)
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日中関係は力比べをする関係でもある
ヴォーゲル教授によると、二二〇〇年に及ぶ日中両国の交流史で、鄧小平は中国首脳として最初に日本の土を踏み、また最初に天皇に会見した人物である。鄧小平は、「二〇世紀には不幸な歴史もあったが、両国は二千年以上も交流しており、前を向いて両国を世代友好の未来へ進めたい」と言った。侵略行為で中国に大変な被害をもたらしたことを知っている日本人は、この話に大変感動し、悲劇を繰り返すまじと誓った。国を挙げて謝罪をし、友情の手を差し出したいと強く願ったのである。
鄧小平は、福田首相が執り行った歓迎会で、徐福のように「仙薬」を求めに来た、と語ったが、これは訪日の目的の一つであり、その「仙草」とは日本が近代化を果たした秘訣のことである。
当時、日本にはどの家庭にもテレビがあった。鄧小平は東京から京都まで新幹線に乗り、近代的なスピードを味わった。松下電器(当時)を見学した際は、カラーテレビのほかファクシミリや電子レンジも見た。日産自動車では初めてロボットを目にし、従業員一人が年間平均で九四台の自動車を造るとの説明を聞いて、「われわれの長春自動車より九三台も多い。これこそ近代化なのだとわかった」と感じた。
鄧小平は帰国後、「三中全会」を開き、改革開放を行うと宣言した。日本もODAを始めて、中国にまた日本から学ぼうとのうねりが発生した。そして三つ目の変化は、ヴォーゲル教授によると二〇〇八年前後であるという。中国は三十年にわたる発展を経て、国力や経済力がすさまじく変化し、特に北京オリンピックと上海万博の開催により愛国主義が激しく高まって、東洋にそびえ立つ、という意識が中華民族の間でまた強くなった。このころ日本は、GDPで追い越されそうになり、明治維新以来の「アジアのナンバーワン」、「世界のナンバーツー」が奪われてしまう、という強い焦りが募っていた。
そして二〇一〇年、中国のGDPがついに日本を超え、日本が大変な失望感が生まれた。中国人が「日本の上に立つ」との快感を再び手にしたころ、日本政府は釣魚島(日本は「尖閣諸島」)の国有化という極端な行動をとり、両国は八年にわたるにらみ合いを続け、時には火花を散らしそうになった。
しかし、このにらみ合いに双方は徐々に慣れて、落ち着きを見せ、関係が改善していった。また中国経済が後退したことから、中国のビジネス関係者が日本のかつてのバブル崩壊脱却の経験に目を向け、企業のモデルチェンジを果たすべく、またも日本に学ぼうとの雰囲気が広がっていった。ヴォーゲル教授は最後に、二千年以上にわたる中日関係について「三度の上り下り」とみなした。
根本的な問題は「隣国」の関係を処理していないことだという。つまり、両国は引っ越し不能な「永遠の隣国」である以上、力ずくでの「上か下か」といった従属関係を求めず、「よき隣国」となる方法や形を学び検討すべきだとのことである。ヴォーゲル教授は、四〇年前の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』について、次のように言った。「アメリカ人のために書いたものだ。かつてアメリカ人は日本人に目もくれなったが、経済面で一九七〇年代に猛追し、そして競い合うようになっており、日本の成長のありかたに目を向けるべきだと感じた。
日本は今、その経済面で中国に抜かれたが、社会保障や世の中の体制、落ち着きと言った面で、やはり世界ナンバーワンであると認めざるを得ない。アメリカだけでなく中国もそれを認めるべきであり、そうすれば日本を見つめ、対処するのに最適な角度を見出せるだろう」。
(了)
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