【中村医師追悼企画】活動する場所は違えども 先生のご遺志を継いでいきたい―(後)
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特定非営利活動法人ロシナンテス 理事長/医学博士 川原 尚行 氏
12月4日、アフガニスタンなどで人道支援事業を行っているペシャワール会の現地代表で医師の中村哲氏が、銃撃されて死亡したと報じられた。この悲報は国内外に大きな衝撃を与え、多くの人が悲しみに包まれた。スーダンなどで医療支援を展開する特定非営利活動法人ロシナンテスの理事長で、中村氏と同じ九州大学医学部の後輩でもある川原尚行氏もその1人だ。川原氏に、現在の心境などを聞いた。
――スーダンでは2019年に、政変が起きたと聞いています。
川原 4月11日、デモ隊の座り込みによりバシール前大統領が退陣に追いやられました。その後、スーダンの軍部が強制排除のためにデモ隊に向けて発砲し、100名以上の死傷者が出ました。そのように国内情勢が不安定になったことで、安全のためにロシナンテスの日本人スタッフ全員をいったん引き揚げました。
その後、私が10月と12月の2度にわたってスーダンに行き、現地の状況を見極めたうえで、20年1月からは再び2名の日本人スタッフが駐在することになっています。政変後の現在のスーダンは、軍部と民主化勢力による暫定政権の共同統治が行われていますが、前政権のときと比べると、我々のような国外からの支援団体への対応や態度などが、やや柔和になっている印象は受けます。
――今後は、どのような活動をされていかれますか。
川原 ロシナンテスの“目指す将来像”として、「支援した地域の人たちが、『医療』を自分たちのものとし、地域の人たちだけで医療を継続できる仕組みが根付いている世界」の実現を掲げています。
我々が活動をスタートしたのが、スーダン東部のガダーレフ州の無医村地域なのですが、そこでは医療の提供のために診療所を建てたほか、井戸を掘って水を確保し、学校をつくって子どもたちの教育を行い、さらに母子保健の部分で助産師さんの育成などを行いました。ここは今では我々の手を離れ、地元の人々が自立して、自分たちの手で医療を継続できる環境になっています。こうした地域をスーダン全土に、そして、今はご縁があってザンビアでも支援活動を行おうとしていますが、ゆくゆくはアフリカ諸国にも広げていきたいと思っています。
スーダンのように医療資源が乏しいなかで、いかにして地域医療を行っていくか。先ほどの水の問題もそうですし、衛生面などの“病気にならない”ための地元の人々の保健意識の変革も必要です。ブラッシュアップを重ね、場合によってはITなどの最新技術も活用しながら、より良いモデルをつくっていければと考えています。そして、そうしたモデルは、日本の地域医療にとっても、1つのヒントになるのではないかと思います。
――最後に、中村先生への追悼の思いをお聞かせください。
川原 12月にスーダンから日本に帰国してから、すぐさまペシャワール会の福岡事務局に弔問に行きました。そこで中村先生のご遺影を拝見し、先生のご遺志を継いでいこうという決意を新たにしたところです。とはいっても、私がアフガニスタンに行くわけではありません。先生がされていたのは、本当に地元の人々のことを思って、医療だけでなく、彼らが自立して生活できるための環境や仕組みをつくっていくことでした。そのような先生の志を継いで、場所は違えどもスーダンを始めとしたアフリカ諸国で、私は私なりに、地元の人々のために頑張っていきたいと思っています。
また、弔問した際に、ペシャワール会の若い20代のスタッフの方々と話す機会がありました。そうした若い世代の方々には、私やロシナンテスが培ってきた経験なども伝えながら、一緒に中村先生のご遺志を継いでいければと思っています。
(了)
【坂田 憲治】<プロフィール>
川原 尚行(かわはら・なおゆき)
1965年9月、北九州市生まれ。小倉高校、九州大学医学部卒業などを経て、98年に外務省に入省。2002年に在スーダン日本大使館に一等書記官兼医務官として着任した。05年1月に外務省を辞職し、同年4月よりスーダン国内での医療活動を開始。06年5月、北九州市に「NPO法人ロシナンテス」を設立。同年8月にはスーダン共和国政府から国際NGOとして正式に登録される。以来、スーダンを中心に医療支援活動を展開している。関連記事
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