2024年11月26日( 火 )

「検察崩壊元年」ゴーンの反撃(7)

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繰り返される検察の暴走、そして冤罪

 ゴーンの国外脱出事件について検察は「何らかの犯罪容疑」で大規模な捜査を開始した。報道によれば密出国罪と犯人隠避罪の嫌疑のようである。日本のマスコミは検察の御用報道機関か従軍記者の役割を平気ではたすから、国民は結果として誤誘導されてしまう。

 問題となっている報道のうち最大の「嘘」はゴーン事件の裁判がいったん停止され、結局、ゴーンが死亡するまで開かれず、死亡した後、公訴棄却となる、とする法律専門家の「見通し」などに示される、「裁判の一旦停止説」である。

 ゴーン事件は共犯事件であり、ケリー被告は日本に滞在しており、ゴーンだけが事実上出廷できないだけである。ゴーンの第一の被疑事件である有価証券報告書重要事項虚偽記載罪の裁判の進行はまったく可能である。

 また、ケリーの被告人としての権利保護のため、審理を分離してでも進行させなければならない。そして、裁判における重要争点は同一であるからゴーン事件の隠された真相は迅速に解明されるし、されなければならない。ゴーンが在廷しない分、ゴーンに多少の不利が生じてもそれはゴーンも覚悟の上でのことである。

 ゴーンの国外脱出を口実に検察と裁判所がケリーの裁判まで停止させたら、国家あげてゴーン冤罪事件を闇に葬ることになる。国民は検察の巧みな誤誘導に騙されないようにしなければならない。

 このまま裁判が停止されれば、検察にとって最大の成果となる。「ゴーンは投獄されるのを嫌って国外に逃亡した」と主張でき、事実上の勝利宣言ができるからである。

 さて本題に戻って、ゴーンの国外脱出事件は裁判所がつくった事件であるという側面を日本国民は理解しなければ、世界の批判「人質司法」を真の意味で理解しないことになる。

 ゴーンは外国人で日本に国籍をもたないし、家族との家庭生活の本拠である自宅も外国である。そのゴーンを日本の東京の狭い地域に居住させ、厳重な報道管制と接触禁止の状態に置くことはわかりやすくいえば「座敷牢」に「軟禁」していることである。

 刑事被告人が全員このような「座敷牢」に「軟禁」されて刑事裁判を受けているなら、日本はまさに人質司法の国であり、世界の批判は当たっている。刑事被告人といえど、正当な弁論権反論権は保証されなければならない。それは一定の最低限の居住の自由(精神を安定させる場所)も含まれる。外国人の場合、国籍のある国の家族との本来の住居での生活が最低限の居住の自由である。これを奪われればすでに苦痛であり、事実上の処罰である。

 裁判所がゴーンに国籍のある国での家族との生活を認めた保釈条件をつけていれば、そもそも「脱出事件」は起こりようがなかった。ゴーンが国外に出れば、そのまま脱走逃亡するという検察官的予断はまったく外国人被告人を最初から有罪視する見解で、近代刑事裁判思想に反し、憲法の理念(外国人であっても基本的人権の保障があること)に真っ向から違反する。

 検察官が起訴の段階になってもまだ、「証拠隠滅のおそれ」を主張すること自体、証拠が薄弱か、自白だよりの立証であることの反映である。従って、具体的には何もない「証拠隠滅」の主張となっている。

 たとえば、妻との接触が禁止されているが、この論理で行けば、すべての人間との接触を禁止しなければならず、またできることになる。

 検察は妻が将来、重要な証人となって証言する際、事前に自由な接触を許せば「口裏あわせ」をするからそれが「証拠隠滅」にあたる、と主張する。

 これはまるでゴーンが真犯人でそれを妻が知っているという前提の論理であるから、まず、その前提となっている理由事実を立証してからしか主張できないはずである。

 事実、本件では妻も検察から厳しい捜査尋問を受けている。それでも、なおかつ妻との接触を禁止するのは、もはや確たる証拠はなく、想像捜査(見立捜査)と訴追に他ならない。だから「自白」するまで拘束・監禁するのを常道とすることになる。

 ここで国民は奇妙な日本の裁判実務での証拠法則を知るべきである。身内の証言は一般に信用性がないとして、その証言の内容の真実性を検討するまでもなく排斥されるのが基本である。

 しかし、それが検察の見立てと一致する場合は強力な決定的証拠として取り扱われる。被告人に虚偽の自白をさせる場合にも、「妻が自白している」とか「身内の者が自白している」とかの虚偽誘導で自白を強要した例は無数にある。だからゴーンの妻も厳しい取調べを受けた。

(つづく)
【凡学 一生】

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