【シリーズ】生と死の境目における覚悟~第2章・肉親を「看取る」ということ(3)
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毅然とした母
石田弘次郎(仮名)は、父、母、そして伯母の介護と看病を仕事の合間に行った。帰宅は夜遅かったが、洗濯など、やらねばならないことは山ほどあった。休日は、買い物、そして、それぞれの病院に行き、看病と介護を行う日が続いた。
父と母は、およそ2年間、入退院を繰り返した。そんななか、すい臓がんだった母の状態が悪化し、非常に厳しい状態となった。重篤となったことで、母の看病を中心にしなければならず、弘次郎は、父を説得して介護老人保健施設に入所してもらった(伯母はすでに入院していた)。
弘次郎を取り巻く状況は一段と厳しくなった。仕事も時々、休暇を取りながら、3人の看病と介護を続けた。弘次郎の勤務する会社は、弘次郎の置かれた状況を理解してくれ、フレキシブルな勤務体系にしてくれた。
「ドライバーの仕事は大変でしたが、幸運なことに勤め先の経営陣や幹部の皆さんは、私の事情をよく理解してくれて、仕事中に病院や介護施設に立ち寄ることや、急な休みにも快く対応していただきました。本当に感謝しております」と弘次郎は話す。
一方、親族は相変わらず弘次郎に手を差し伸べようとはしなかった。手を差し伸べるどころか「弘次郎は、看病や介護をしている“ふり”だけ。親の遺産を独り占めにしようとしている。今も、親の金を使い放題」などと周囲に事実と異なる話を広めた。また、同じマンションの住人らによる「平日の昼から“いい歳”した男がフラフラと…。ろくに仕事もせず、親の金で遊んでいるのだろう」という心ない噂も弘次郎の耳に入ってきた。
弘次郎は普段、朝早くから出勤し、深夜まで看病・介護を行うという1日中、休む暇のない日々を過ごしていた。休日は、少し遅めに起きて、必要な買い物に行ってから、3人の病院・施設へと向かっていたのだが、それを知る者は誰1人いなかった。
「母のすい臓がんがひどくなり、入院してから亡くなるまでが、心身ともに最も苦しかったです。しかし、ここで私が踏ん張らないと、みな共倒れになってしまいます。気力で何とか乗り切りました。ただ、前述の通り、親族の無理解は続きました。そのころには助けてもらおうなどという考えは、一切ありませんでした。しかし、言われのない誹謗中傷が一番辛かったですね」と弘次郎は語る。周囲のとくに身近な人々からの「無理解」に一番苦しめられたのだ。
そんな状況下、2016年(平成28年)11月に母が74歳の生涯を閉じた。母は、自身の逝去7時間前に電話で弘次郎を呼び出した。弘次郎は、「珍しいな」と思いつつ、母の入院する病院に向かったという。
弘次郎が病室に着くと母は、すぐにベッドの上に正座した。その後、「弘次郎ありがとう」と話し始め、これまでの日々について語りだした。父・弘への尊敬の念、2人の子どもへの愛情溢れる想い─―父の懸命に働く姿を見て、あのまっすぐな姿勢を見て、父を生涯何があっても支え、そしてふたりの子どもは、自分が立派に育て上げると決意したという内容の話だった。
母は話をしている間、正座のままで、背筋をのばし、凛とした格好で話を続けた。以前から母と話をする機会が多かった弘次郎だが、この時の母の姿を振り返り、「毅然とした女性でした。母の温かさと優しさで育てられたことに感謝しました」と語る。その後、「少し休むわ」と言って横になった母だが、2度と目覚めることはなかった。
(つづく)
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