【シリーズ】生と死の境目における覚悟~第2章・肉親を「看取る」ということ(4)
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金銭的プレッシャーと戦う
石田弘次郎(仮名)は、母の葬儀を、ひとりですべて準備・段取りして、取り仕切った。「母が亡くなってから葬儀までは、悲しんでいる暇などなく、葬儀の準備から会葬していただいた方々への対応、葬儀社との打ち合わせなど、目まぐるしい時間でした」と当時を振り返る。
なお、母の死について、父・弘と伯母に知らせたのは、葬儀から数日が経過してからだったという。父、伯母は、それぞれ老人保健施設と病院に入っていたので、極力ふたりに心身の負担をかけたくないという弘次郎の想いからの判断だった。
母がこの世を去って以降も、父・弘は老健施設に入所、伯母は精神科専門病院での入院生活が続いた。弘は、洋子の逝去後、弘次郎を呼び出す回数が増えたという。「母が亡くなって寂しかったんだと思います。私もドライバーの仕事を続けていたので、そう頻繁に父のところに行くのは難しかったのですが…それでも『父が来てほしい』と願ったので、なんとか時間をやりくりして父に会いに行きました」と弘次郎は語る。
伯母も状態が悪化し、弘次郎は“保佐人”としての役目を担い、伯母の財産の管理などについてのやりとりを関係各所と行いながら、時折見舞うという日々を過ごした。
「伯母さんの状態は日増しに重くなってきたので、自宅に戻ることが困難になりました。伯母さんには、本当に申し訳なかったのですが、引き続き病院で治療を続けてもらいました。そこで、伯母さんの自宅をどう管理するのか?ということが課題となりました。各所と協議した結果、改装して賃貸にすることとなりました。その毎月の賃料を伯母さんの入院関係の費用に充てることにしたのです」(弘次郎)
しかし、当時を振り返る弘次郎は、「母が亡くなった後が一番大変でした」という。理由は、金銭面である。父の入所する老健施設における費用の高騰などが要因となった。伯母の自宅を賃貸にし、その賃料は、伯母の看病に充てられたものの、弘次郎自身の収入が厳しくなってきた。
母が逝去したことにより、介護・看病をするのが2人になったことで、心身の負担は減った。しかし、それ以上に2人のために“すべきこと”が増え、かつ前述の理由で、金銭的プレッシャーが弘次郎にかかった。
親族、そして近所の人々の無理解は相変わらずで、弘次郎も周囲に助けを求めなかった。
「当初からアテにはしていなかった姉ですが、一応、母の葬儀のために福岡に戻ってきました。しかし、通夜・告別式でも石田家の一員として立ち振る舞うことなく、一会葬者という態度で、何も手伝いませんでした。“やってくれ”とも言いませんでしたが…あきれました。実の母ですよ…。さらに、葬儀後に母の遺品を整理する際のみ、いわゆる金目のモノだけ“自分のモノ”として持って行って、その日のうちに東京に戻りました。あきれるのを通り越して、言葉も出ませんでした。私には不要のモノだったので、片付いたことに関しては『良かった』と自分に言い聞かせないと…姉には今後一切、連絡するのをやめました」
(つづく)
【河原 清明】『【シリーズ】生と死の境目における覚悟』の記事一覧
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