【シリーズ】生と死の境目における覚悟~第2章・肉親を「看取る」ということ(5)
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父と向き合う充実した日々
石田弘次郎(仮名)の姉は、母の葬儀後、すぐ東京に戻った。前回記したように、姉は母の遺品整理で「金目」のモノは自分が引き取った。つまり「カネ」のためのみに遺品整理を行った。そして姉は、自分の用事が済むと、弘次郎と今後のことなどについて話し合うこともなく、自身の所帯がある東京に帰ったのである。
弘次郎は「別に驚きもしませんし、引き留めることもしませんでした。姉は、実家のことなどまったく関心がなく、今回の母の葬儀も仕方なく帰福したまでですよ」と語る。しかし、姉が唯一、執着したのは、「財産分与」の件だった。石田家には、父・弘名義で不動産などの財産があった。すでに父・弘は“遺書”を書いており、その「遺書」のなかの財産については「弘次郎が相続すること」と明記されていた。しかし、その遺書の内容を姉は認めず、自身にも相続する権利があると主張している。弘次郎は「またカネか…」と思い、相手にしなかったという。
父・弘の状態は、母の逝去後、良くなることはなく、さらに厳しい状態になっていた。弘次郎には金銭的なプレッシャーが残っていたものの、「3人の看護と介護をしていた時期と比べると、心身の疲れは半減しました。お金のことは、何とかなりましたので…」と語る。さらに、父・弘とともに過ごす時間が増え、生まれて初めてじっくり話ができたという。
弘は、国内メジャーの海運会社を勤め上げた。1年の3分の2以上海外に渡航し、船上で暮らす日々だった。業務を終えて帰国したときは、「完全休養」で家族と向き合うことは、ほとんどなかったという。
弘次郎は、弘のことを「父」として見ることができなかった。家のことは母にすべて任せ、弘は一心不乱に働き続けた。しかし、弘次郎には、その父の姿が理解しがたかった。「家のために稼いでくれている」ということは理解していたのだが…。
ある時、そんな長年の鬱積したおもいを、弘次郎は父に直接ぶつけた。父・弘は「弘次郎…長年悲しいおもいをさせてすまなかったな。しかし、俺は不器用だから、働くことでしか家族を支えるすべがなかった。もっと話をしておけば良かったな」と切々と語ったという。そのとき弘次郎は、初めて父・弘を“父親”として認めることができた。
「父が亡くなる2カ月前に、“お前は良い息子だった。弘美(姉:仮名)にばかり期待していたが、お前がしっかりと生計を立て、懸命に生きていることをお母さんから聞いて、誇らしかったぞ」と弘次郎の手をしっかり握りながら話したという。弘次郎は、心の底から父・弘の息子で良かったと思ったそうだ。
2018年(平成30年)9月23日、父・弘は83歳の生涯に幕を閉じた。享年83。家族のために、ただひたすら働き続けた人生で、晩年は、病魔との闘いの日々だった。
父・弘が老健に入るまで、弘次郎と父との間で、お互いの“おもい”が行き違っていたが、週3回、介護のために施設を訪れるうちに、お互い本音で語り合えるようになり、少し遅かったかもしれないが、真の親子になれた。
「父は病気に苦しめられ、辛かったと思います。それでも、父と向き合い、まさに“男同士”の話ができ、亡くなる日まで充実した日々でした」と弘次郎は当時を振り返る。
(つづく)
【河原 清明】※介護経験のある方は、ぜひご意見・ご感想をお寄せください。
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