【縄文道通信第30号】危機とサバイバル~新型コロナ関連シリーズ「縄文道と母性尊重」
-
(一社)縄文道研究所
NetIBNewsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。今回は第30号の記事を紹介。
世界的パンデミックの中で、世界の国々のリーダーは日夜奮闘している。かかる状況下、世界が注目しているのは女性がリーダーの国々が、新型コロナウイルスの抑え込みに成功していることだ。
ドイツのメルケル首相、台湾の蔡英文総裁、ニュージーランドのアーデン首相だ。女性が政治的な役割を果たして、成功しているのは、様々な解釈があるが、母性の中に平等観と危機に我が身を守る、本来の意識があるからだという解釈は一理あると思う。
最近はフィンランドで世界最年少の34歳の女性サンナ・マリン首相も誕生した。縄文道の立場から母性論を考えてみたい。縄文時代は狩猟、漁労が主体であったが、いわゆる大陸文明の弱肉強食でなかった。この事は多くの内外の考古学者、人類学者からも指摘されていることで、島国で海に囲まれている自然条件の為、外敵に襲われず、極めて安全、安心な生活が維持できた。従って、まさに日本列島は「母なる大地」で、母性を育んでいける環境であった。母性にとって重要な妊娠、出産、育児が、安心して出来る自然環境の中で、日本的特徴の母性文化の原型が育ったと言って良い。欧米、中国など大陸文明は父性文化だ。
女性は本来の役割以外に、採集生活の手助け、食材の加工、土器、土偶の制作・さらに幼児の死亡率が高かったので、その弔い、さらに見えざる神様と人間の間の祭祀など、男女の機能に応じた分業に関わっていた。いわば1万4,000年という長期に亘って、男女同権社会を担ってきた。
弥生文化が入り、弥生人と融合しながらも女性の役割は変わらず、弥生末期から古墳時代に女帝、卑弥呼(242-248年頃活躍)も誕生した。
さらに歴代天皇の中に35代皇極天皇から117代後桜町天皇まで8人の女帝が、名前を連ねている。平安時代は絵巻物語などで女性が家を守り、男性を待つ男性の通婚が普通であった。世界最古の女性文学「源氏物語」を著した紫式部、「枕草子」を著した清少納言は余りにも有名だ。
鎌倉・室町時代の日本女性は、武家社会の中でたくましく家を守った歴史を残している。男性は戦争に明け暮れ、家を長期に留守にしていた。従って家を守り、全てを取り仕切り、夫が戦場で命を失えば、全ての財産も引き継いでいた。なかには鎌倉時代の北条政子のような政治も取り仕切った辣腕の女性もいた。
江戸時代も士農工商の身分社会ながら、日本女性は役割を立派に果たしてきた。武士は参勤交代という制度の中で・藩政を取り仕切りながら江戸への参勤を余儀なくされたが、藩を守ってきたのは女性だ。他の身分の女性で有名な話は「三下り半」である。本来は夫が提示する離縁状を「三下り半」と言い、同時に再婚許可書を貰うのが通例であった。ところが、不甲斐ない夫に対して「三下り半」を要求して、再婚した事例も多々あった歴史的記述がある。まさに江戸時代の女性もたくましく、強かったのだ。
明治維新を経て、江戸時代の身分制度が崩壊し、欧化思想とキリスト教の宣教師来日を契機に、男女平等思想が全国民に普及し始めた。儒教の影響の下「妻は夫に生涯従う」など、男性優位の思想に楔を打ち込んだ。このような変化のなか、自由民権運動から景山英子、アメリカ留学から帰国した津田梅子、さらに女性解放運動の平塚らいちょうなど、活動家が輩出した。女性の歌人、与謝野晶子などは文学活動を通じて母性、女権を主張した。特に政治的には女性参政権が1869年に米国、ワイオミング州にて、世界で最初に認められ、日本でも市川房江などにも女権確立と参政権を認める動きが活発化した
日本で参政権は戦後の憲法設立によって、1947年に認められた。以降女性の政治家も輩出したが、欧米先進国から比較すると少数だ。(衆議院10.2%、193カ国中165位)
時代は戦後の経済復興、高度経済成長を経ながら、女性があらゆる職場に進出し始めた。OL が就職しても、結婚を期に退職して、家庭生活に入るという社会習慣は1980年中頃まで続いた。
1985年にようやく男女雇用均等法が成立し、経済的にも男女の雇用面での差別が禁止された。実態は未だ多くの差別があることは事実ながら、女性が持つ資質と能力が、法律成立後35年経過し、今やウーマンパワーが爆発し始めた感がする。
世界的なパンデミックで世界は働き方が革命的に変わりつつ有る。その代表がテレワークであり、職場、学校、医療現場、あらゆるところで導入され、今や日本も約26%近い普及率だそうだ。
最近、日本に最初にテレワークを導入した、旧知の女性経営者、テレワークマネジメントの田澤由利社長と、北海道旭川と小生のオフィスでskype にて意見交換させてもらった。約20年人材業界と関わってきた筆者からすると田澤社長は「テレワークの母」である。日本人は「母なる大地」「母国」「母校」と全て最初に母―が付くが、まさに「テレワークの母」に相応しい経営者だ。
田澤社長との対話で印象深かったので以下紹介したい。「20年以上前に会社通勤時間の無駄に疑問を持ちテレワークの会社を起業した。最初はアメリカからテレワークを導入したが、今取り組んでいるのは、日本型システムを確立し普及することだ。アメリカは個人主義、契約主義、成果主義社会でテレワークに適した社会だ。日本は大部屋主義、集団主義、コンセンサス重視社会なので、今後どの程度テレワークを普及させるかで、現在ターニングポイントにある」――筆者が日本システムはまさに縄文道で縄文道思想に基つく縄文道経営--OPEN,FLAT SIMPLE SMALL- の構築ですね。とのメッセージを送ったことに、まさに同感ですとの温かい言葉を戴いた。
新型コロナを契機に一挙に広がり始めたテレワークで、日本の「テレワークの母」に縄文道経営を実践し・さらに普及活動を広めて頂きたい。
Copyright Jomondo Kenkyujo
関連キーワード
関連記事
2024年11月20日 12:302024年11月11日 13:002024年11月1日 10:172024年11月21日 13:002024年11月14日 10:252024年10月30日 12:002024年11月18日 18:02
最近の人気記事
おすすめ記事
まちかど風景
- 優良企業を集めた求人サイト
-
Premium Search 求人を探す