2024年12月22日( 日 )

新型コロナ禍対策に見る〈政対官〉〈中央対地方〉の「ちぐはぐさ」の正体(2)

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前衆議院議員 緒方 林太郎

 新型コロナウイルス(COVID-19)についての日本政府や各地方自治体の動きについては、これまでもさまざまな評価があると思います。今回、政治・行政の観点から、自分自身の目に見えていることを取りまとめて寄稿することにしました。なお、私は政治に携わる者であり、立ち位置は現野党に近いですが「批判のための批判」は一切しないようにしています。また、第一次資料に接しているわけではありませんので推測の部分が多いです。ただし、外から見ていて「最もあり得る分析」を書くように努めました。
(※4月30日記)

法律に基づかない「要請」の意味

 一連の動きのなかで、法律上の問題点が明らかになってきています。3月上旬に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正が行われました。この法律自体は、新型インフルエンザなどの感染症対応を整備するため民主党政権時代の2012(平成24)年につくられたものです。安倍首相はあまりこの法律の活用に積極的ではなさそうに見えましたが、これは民主党政権時代の法律だということが背景にあったのかもしれません。結果、法改正自体は今回のCOVID-19に限って同法の規定を適用するというだけであり、将来的に同種のウイルスが出たときにこの法律が活用できるような改正ではありませんでした。法的には典型的な「付焼刃」になります。

 この法律による緊急事態宣言に至るまでの間、多くの要請が内閣総理大臣(安倍首相)からなされました。法律上、外出自粛要請は緊急事態発令時に都道府県対策本部長(知事)が行うものなのですが、今回はかなり早い段階から法令に基づかない外出自粛を始めとする諸要請が内閣総理大臣から行われました。以下で詳述しますが、総じて安倍首相は新型インフルエンザ等対策特別措置法に沿った動きをしていないことが多いのです。

 法律に基づかないとはいえ、一国のトップである内閣総理大臣が要請をするというのは政治的にはとても重いものです(註:法律に基づかない内閣総理大臣からの要請とは何なのか、という論点は後日検証すべき事項)。したがって、内閣総理大臣が法的根拠なく要請を乱発するのは法治国家としては極力避けるべきでしょう。

「要請」の限界~見せしめ効果と同調圧力

 一方、法律に基づくかどうかに関わらず、「要請」の限界も明らかになってきています。「要請」という用語には「従わなくても問題なし」という含意がありますが、それが顕在化しています。緊急事態時には「施設等の使用制限(いわゆる休業)」について、さらに進んで「(要請よりも強い)指示」することができるとなっていますが、これとて罰則も何もないので、一部のパチンコ店から「指示されたけれど従わない」という事例が出てきたのはご存知の通りです。

 現在の法制度では、緊急事態時における施設等の使用制限についてやれることは「休業指示」で終わりです。指示を出すときには法律で公表することが求められています。つまり、今の新型インフルエンザ等対策特別措置法では、最後に取れる手段が「見せしめ」なのです。「見せしめ」に何の効果があるかというと、見せしめられたことに対する「(日本社会独特の)恥の文化」が働いて抑制効果があるということ、つまりは「同調圧力」です。

 一般的に、法的義務をともなわない「要請(や指示、公表)」の効果を担保するのは、「要請されている以上従うべきだ」という個人それぞれの思いと「緊急事態なのに従わないとはけしからん」という社会の同調圧力でしかありません。法律として見た時に、その効果を担保するのが各個人の思いと社会の同調圧力しかないというのは、この危機的事態に適切なのでしょうか。

 日本においてこういう体系になっている法律は、ほかにもあります。何らかの理由で「禁止」や「罰則」を取らない(取れない)時、最後に同調圧力を期待して「見せしめ」をやるという手法は時折法律に盛り込まれます。しかし、このような「見せしめ」効果を期待するというやり方は比較的日本に特有で、あまり欧米の法律には見られないものです。このやり方には限界があって、「見せしめ」られても何とも思わない人には効果がないのです。個人主義の強い文化があればある程、このようなやり方は意味を成しません。

法律の限界がもたらすミスマッチ

 安倍首相が緊急事態宣言を発令した際の記者会見はとても奇妙なものでした。緊急事態を発令したにもかかわらず、同時に「ロックダウンではない」と強調しました。すべて法的義務のない要請で緊急事態を取り仕切っていく以上、論理的にはそう言わざるを得ないわけです。安倍首相の深層心理にも「大事(おおごと)にしたくない」という意識が残っていたのかもしれません。

 しかし、これでは深刻な事態だから強い措置を発令したのか、それとも大したことないのか、国民はそのメッセージの受け止め方に迷ったはずです。国民に広くそのメッセージの意味を理解してもらうためには、簡潔でわかりやすい表現にすべきでした。方向性として逆の意味合いを持つ表現を同時に発したことで、国民の間にどこか「大したことないんでしょ」「自分は関係ない」といった思いを与えてしまった可能性は高いと思います。

 やはり3月の時点で「命令」や「罰則付き」を含む、より強い措置を取ることができるかたちでの新型インフルエンザ等対策特別措置法改正をしていた方が良かったのではないかと思います。もちろん人権制限となりますので、対象、期間を厳格に絞り込んだうえで、国会承認も(事後で良いので)盛り込んだ法律はあり得たでしょう。人権制限というのは非常に辛い判断ですが、私の肌感覚では多くの国民は理解してくれただろうと確信しています。

 逆に、なぜそこまで行かなかったのかを私なりに推察するのですが、やはり「大事(おおごと)にしたくない」という意識が働いたのかもしれませんし、それと同時に、より強い措置を設けることに財務省が反対したのではないかと見ることもできます。強い措置を講ずると必ず「補償」の話が出るので、ここは今の「要請+指示」の枠組みで走っていきたいという財政当局的な考慮があったと見るのは故無きことではないでしょう。

(つづく)


<プロフィール>
緒方 林太郎(おがた・りんたろう)

1973年北九州市八幡西区生まれ。福岡県立東筑高校を経て東京大学入学。94年に東京大学法学部を中途退学、外務省入省。2005年外務省退職。09年衆議院議員初当選。14年衆議院議員2期目当選。17年落選。

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