【縄文道通信第42号】縄文道は日本の未来道―縄文文化の影響は未来永劫に続くパワーなり―縄文の食文化の現代への影響―(前)
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(一社)縄文道研究所
NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第41号の記事を紹介。
縄文の食文化の現代への影響と未来―長寿・健康の秘訣―
『医者が教える「食事術」最強の教科書』(著者・牧田善二医学博士)は「理想的な食生活は縄文人に学ぶべき」と述べている。
「現代の日本人がDNA的にも約14,000年続いた縄文人のDNAを強く受け継いでいる。和食の原点は塩分を少なくすればヘルシーな縄文食で糖尿病、高血圧などを防ぐ長寿の原点がある」という。縄文人は考古学の検証によると、約1,500種類のさまざまな自然の賜物を四季折々食していたことが判明している。
・貝類 350種類 ・魚類 200種類
・哺乳類 60種類 ・鳥類 80種類
・海藻類 90種類 ・根菜類(クリ、ごぼう) すべて現代の日本人が食している山海の珍味も含めて食していたと思う。
相撲界で有名なチャンコ鍋は、素焼きの鍋(縄文土器の延長)であらゆる栄養素の高い食材が使用される。裸の大男が食している姿は、縄文時代に人々が食している姿と重なるのではないか。長期に亘る縄文時代に日本人の食文化の原型が完成していたと思われる。弥生、古墳、 飛鳥時代に、大陸、半島との交流により中国、韓国の影響を受けたと思われるが、日本の食がより健康になったのは、奈良時代に到来した仏教の影響などを受けて肉料理と距離を置いたことによる。
それは天武天皇の時代、675年に発布された肉食禁止令である。
天武天皇は仏教に帰依し、農耕期間である4~9月に5畜(牛・馬・犬・猿・鶏)を食べることを禁じた。その理由は、牛は田畑を耕す、馬は人を乗せて働く、犬は番犬になる、猿は人間に似ている、鶏は時を知らせるとのものであった。
続けて翌年には「放生令」を発布した、捕まえた魚は水に返し、飼っている鳥は放すという令である。「人間でも動物でも命を大切にして死を重く見る」という仏教の殺生戒から、この令を出した。天武天皇の思いは、この2つの法令によって功徳を積み、豊穣を祈願すれば国家の繁栄につながるというものであった。
日本はその後何度か肉食禁止令を発令し、実に、明治時代の1871年までの約1,200年間、肉食を遠ざけた。
仏教の影響に加え、神道にも「死穢」「血穢」の思想があったこともあり、肉食が馴染まなかった。
これが、日本が大陸、半島国家とは決定的に違う独自の食文化を生み出した1つの大きな理由と考えられる。明治になり1871年に肉食解禁例が敷かれ、日本は独特の肉食文化を生み出した。牛鍋―すき焼き―しゃぶしゃぶ―牛丼―和風ステーキと牛肉という素材を見事に日本化してゆく。
筆者は商社時代、豪州のパースで、豪州牛肉を日本向けの和風、霜降り牛肉として輸出するために、現地の牧場主らと交渉した経験がある。
30年前当時、豪州人にとって日本人の牛肉文化を理解するのは大変であったが、現在では日本のマーケットに完全に順応した牛肉が生産され、日本のみならず、アジアにも輸出されていると聞く。また、豪州産の伊勢海老は日本の結婚披露宴の市場で人気を博していた。豪州の水産業者は伊勢海老の頭と尻尾を切って輸出すれば運賃が安くなると主張した。頭と尻尾を切って胴体と一緒に出荷し、日本に到着後ストローのような化学品を使ってそれらを接着し、披露宴で一匹の伊勢海老として提供するようにした。
牛肉にしても伊勢海老にしても日本人の好みに合わせて日本化させていく知恵が、明治の開国以来も食生活において一貫して絞られてきた。
(つづく)
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