ファッション元祖への鎮魂歌~さよならレナウン! レナウンをつくった個性豊かな人々(前)
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民事再生手続に入っていたアパレル大手(株)レナウンは8月21日、紳士服「ダーバン」など主力5ブランドをカジュアル衣料の小泉グループ(株)(大阪市)に売却すると発表した。
小泉グループへの譲渡は9月30日を予定し、売却額は非公表。レナウン本体は再生がかなわず清算される見通しとなった。レナウンの歴史は、日本のファッションの歴史そのものと言っても過言ではない。レナウンの歴史をエピソードで綴ってみよう。創業者の佐々木八十八氏は着物・前掛けの時代にハイカラ洋装
「目先にはとらわれず、一歩先を見て、暖かい知性で物事を判断するように」とは、創業者の佐々木八十八(やそはち)氏の言葉だ。佐々木氏は1902年、27歳のときに、レナウンの前身である繊維雑貨卸売業「佐々木営業部」を大阪に設立した。この語録にみられるように、物事を考えるスケールの大きさや発想の斬新さにおいて、人並みはずれた異能の人物だったようだ。
佐々木営業部が設立された当時、大阪の船場商人の服装は着物に前掛け姿。佐々木氏の店の人だけは洋服を着ており、「ハイカラの店」として評判になったという。盆暮れの2回の休みが普通だった時代に、週休制を採用したことも驚きだ。レナウンは、おそらく日本初の週休制導入企業だろう。
レナウンの名前の由来もユニークだ。昭和天皇が皇太子時代に英国に訪問されたときの答礼として、22年に英国皇太子(後のウィンザー公)が訪日された。そのときのお召艦が巡洋艦「RENOWN」号で、水兵は金色の「RENOWN」と記された文字の帽子をかぶっていた。佐々木氏はこの帽子の文字を見て、「これを商品名にしよう」とひらめいたという。佐々木氏のマーケティングセンスは抜群だ。
先見の明がある佐々木氏は、資本と経営の分離を考えていたため、1923年に佐々木営業部を支配人(番頭)の尾上設蔵氏に任せて、政界に進出。後に貴族院議員になる。
佐々木営業部は、尾上氏が経営者の時代に業容を拡大。だが、第2次世界大戦中に国策として行われた企業整理により佐々木営業部は消滅した。
NHKの朝ドラ『べつぴんさん』のモデルに
戦後、尾上設蔵氏の長男、尾上清氏が1947年に佐々木営業部を復活させた。尾上清氏が36歳の時のことで、戦後のレナウンをつくりあげたのはカリスマ経営者の尾上清氏である。
NHKの2016年下半期の朝ドラ『ぺっぴんさん』は、神戸の山の手に生まれた坂東すみれが、有名な子ども服メーカーを創業するストーリーだ。
女優の芳根京子氏が演じる坂東のモデルは、子ども服メーカー(株)ファミリアの創業者の1人である坂野惇子氏。尾上清氏は高良健吾が演じた洋服メーカー、オライオンの社長のモデルになっている。坂野氏は、佐々木営業部(レナウン)の創業者、佐々木氏の三女。幼な馴染みである尾上氏が坂野氏に創業を勧めた。尾上氏はファミリアに出資して株主となり、坂野氏を支援した。
デニム地のかわいらしいアップリケのついた通称「ファミカバン」は、神戸のお嬢様学校の生徒が愛用する。スヌーピーのぬいぐるみを日本で最初に販売したのもファミリアだ。
ファミリアは、美智子皇太子妃(現・上皇后)が出産する際、ファミリアが衣類や家具など80点を納入。雅子皇太子妃(現・皇后)が出産された際も、同社が出産準備品を用意したことで有名だ。
芸能界には、娘のためにファミリアの製品を取りそろえるファンが多い。(つづく)
【森村 和男】
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