【凡学一生のやさしい法律学】自民党総裁選の意味するもの(1)~世襲議員の大乱舞、国民が選んだ総理大臣という詭弁(中)
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(2)時代の変遷による制度の陳腐化
筆者は戦後のベビーブームである団塊の世代であり、ほぼ日本国憲法と年齢が同じである。筆者が成年を迎えたころに大学で憲法の講義を受けたが、その当時(そしておそらく現在の憲法講義でも)国会議員の多数が世襲議員であることは、立法事実としては考慮されていなかった。それは憲法の輸入国であるアメリカにも、民選議員の世襲という現象は存在しなかったからである。
しかし、国家が安定的な成熟過程になれば、政治家も政治屋と呼ばれる利権稼業化し、その結果、「世襲=相続財産化」が発現する。その政治家から政治屋への本質的変化を可能にする最大の条件は、「国民に政治の実態を知らしめないこと」、つまり、「主権者教育を行わないこと」であり、生活賃金の獲得に専念させることに尽きる。
つまり、拝金主義の貫徹である。かくして、日本は「一億総拝金主義集団」の国家となった。おかげで高度の消費生活を国民は送っているが、他人のことまで考える余裕はなく、奇妙な個人主義に満足する結果となった。このような社会に真の意味の民主主義が芽生え成長するはずもなく、世襲議員の大乱舞が出現した。
拝金主義による大量消費社会―政権与党のいう「経済第一主義の社会」がいかにもろい砂上の楼閣であるかを、今回の新型コロナウイルス感染が証明した。財政出動が「焼け石に水」となるか、「有効な経済政策」となるかは長期的に見る必要があり、現時点ではまだ誰にもわからない。
新型コロナウイルス感染症はほかのウイルス感染症と同じく、ウイルス自体が宿主と共存しなければ種の自滅となるため、やがて弱毒化し、発生も周期化する。そのタイミングと財政出動効果とのバランスのなかに、今後の日本社会の行く末がかかっている。
新型コロナウイルスは案外、日本社会の権力構造に関わるほどの自覚的変革を国民に促すかもしれない。この現象はまさに、一部の学者が以前から主張するパンデミックのパラダイムシフト効果に他ならない。
なお、ウイルス感染症については終身寄生性や後遺症が重大問題であり、これらが専門家によって国民に告知、警鐘されないことを危惧している。人類、つまり今の若者は数十年後に奇妙な、原因不明の脳神経性の疾患に苦しむ可能性が否定できない。
C型肝炎はもちろん、パーキンソン病についてもウイルス関連性が報告されている。
(3)議員内閣制の実質的な反民主主義性
議員内閣制とは権力分立概念上の政治制度であり、民主主義とは直接関係のない概念である。わかりやすくいえば、行政権の長を選出する制度であるにすぎない。行政権の長を国民が直接選出する大統領制と対比して論じられるが、主権者が直接選挙しない場合と、直接選挙する場合では、民主主義理念からいえばまったく本質が異なる。
通常、議員内閣制は国民が選挙で選出した国会議員による総理大臣の選出であるため、総理大臣を「間接的」に国民が選出したことになり、民主主義には反しないと説明されている。
主権者教育や民主主義教育をあえて公教育から排除している日本では、この説明に異議を述べる者は少ない。このことは、この説明が見事な「詭弁」であることを理解する者が少ないということである。
国民は誰も、自らの意思で総理大臣を選挙したという実感をもつことができないにも拘わらず、「国民が選挙したことにされている」のだから、これ以上の「詭弁」はない。総理大臣を選挙したのは、あくまで国会議員であることにかわりはない。「間接的」という用語が詭弁の根拠であり、証拠でもある。選挙という行為は直接的なものであり「間接的な選挙」という専門用語そのものが矛盾概念である。
以上から、権力分立概念上でも見事な矛盾となっている。つまり、行政権は最大で最重要な権力概念でありながら、国民からの直接的に関係性への介入を受ける可能性が存在しないため、総理大臣を制定する権力者(国会での多数政党)による事実上の独裁を可能とする政治体制となっている。
この政治体制は、中国の共産党による一党独裁と政治的効果は同じである。中国の政治ではほかの政党の存在を法的に許さないが、共産党内での派閥争いは当然存在する。結局、中国共産党で多数派の派閥が、日本の政権与党のような存在になる。名称や表現の違いだけで、本質は同じである。
(つづく)
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