2024年11月22日( 金 )

【凡学一生の優しい法律学】アメリカ大統領選の見方(1)

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 バイデンは事実上の勝利宣言演説で、民主主義の基本は相手へのリスペクト(尊敬・敬意)である旨を述べた。直接の動機は選挙で分断され敗北したトランプ陣営とその支持者への適切な対応を求めるバイデンの思想の表明であった。

 今日本を騒がせている学術会議法違反事件について、菅総理大臣には、とうていこの種の演説はできない。学術会議の真摯な法律上の推薦を蹂躙し、推薦された6名の学者へのリスペクトなど微塵もないからである。

 日本のマスコミはアメリカ国民のなかのサイレントマジョリティを知らない。それはアメリカの法の支配の歴史を知らないからである。

1.アメリカ史上に残る有名法学者たちの思想

 日本では明治23年(1890年)にアメリカでは後にブランダイスブリーフ(日本では弁護士の提出する弁論書、準備書面に該当する)で歴史に名を残したブランダイス弁護士(その後連邦最高裁判事)はプライバシー権の法理を学会に発表した。日本でプライバシー権が認められた最初の判例は「宴の後」事件第一審判決で、1964年であり、実に74年後のことである。また、1907年から、女性の労働時間に関する労働裁判事件において、過重な労働時間を憲法違反として人権の保障を争った。日本では、当時、憲法自体が君主憲法であったとはいえ、いかにアメリカの憲法に基づく人権意識が古くて歴史あるものかを理解しなければならない。

 ちなみに、女性労働の苛酷さが国民一般に知れ渡った「女工哀史」の発表は1925年であり、アメリカでは裁判上で主張できる人権が日本では20年後においても精々出版物による抗議・抵抗としての「公表」であった。

 ジェロームフランクも後に最高裁判事となった法律家であるが、名著『裁かれる裁判所』(1949年)において司法権の問題点を徹底的に糾弾した。その著書で批判された司法権の問題点はそのまま現在の日本の裁判所にあてはまるものであり、いかに日本の司法や法律学が後進的であるかを実感することができる。

2.トランプが訴訟に訴えた背景

 アメリカではこのような進歩的な法律家・学者の思想が多数の弁護士や実務家に共有されており、法の支配、司法権への信頼は確固たるものがある。

 リベラル派のギンズバーグ最高裁判事の死去の際には、アメリカ市民はその業績を惜しみなくたたえ、かつその死を惜しんだ。最高裁の判事を個人的にも国民の多数が知っているということも、日本の実情から見れば天と地との差がある。これは国民の司法への絶大な信頼と希望を表している。

 言動や思想において支離滅裂であるトランプ大統領も、最後には裁判所に訴え、おのれの信ずる「正義」の実現を託したことにも現れているように「トランプでさえ司法権を信頼している」事実は重要である。

 日本の国会議員、とくに少数野党の国会議員が、多数政党の違法行為について司法判断を仰がない現実には、日本には信頼に足る司法権が紛れもなく存在しないことを証明している。野党議員に憲法をはじめとする法に対する理解が欠如していることは当然いうまでもない。

(つづく)

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