『脊振の自然に魅せられて』すばらしい脊振の紅葉(2)
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山の季刊誌『のぼろ』の記者らと脊振へ
山の季刊誌『のぼろ』の記者から、「池田さん、脊振山系で一番紅葉のきれいな所はどこですか」と電話が入った。来年の『のぼろ』の秋号の紅葉特集は、脊振にするという。
筆者の自宅マンションのラウンジで1時間ほどの事前取材を受け、12日(木)に『のぼろ』の記者とカメラマンを脊振へ案内することにした。「脊振の自然を愛する会」のワンゲルOBの実行メンバーに声をかけたが予定があるといい、同会の副代表T氏と会員 M氏、筆者の3人で参加した。
早朝のほうが空気がきれいであり、朝の木漏れ日に映る紅葉は秋景色を一段と盛り上げてくれると考え、早良区脇山の JA脇山支店に隣接する「ワッキー主基の里」で午前8時に記者らと合流し、車2台で脊振山頂駐車場へ向かった。
五ケ山ダムへ続く曲がりくねった県道136号を板谷集落へと登った。板谷集落から脊振山駐車場へ続く自衛隊道路は補強工事で一般車両は通行止めとなっていたため、前回と同様に「早良区よかとこ情報探検隊」の腕章をみせ、「紅葉の取材で、後ろの車は新聞社です」といって通してもらった。
快晴のなかの紅葉観賞
脊振山頂駐車場には午前9時ごろに到着、風もなく、暖かかった。紅葉のきれいな脊振山直下の蛤岳への九州自然歩道へと記者らを案内した。朝露がミヤコザサを湿らし、期待通りの澄んだ空気で木々の紅葉が鮮やかに輝いていた。
記者は「きれいですね、脊振にこんなところがあるのですか」といい、脊振に訪れるほとんどの登山者は山頂を目指していたが、筆者らは山頂を極めることより季節の花や紅葉を楽しんだ。今日は風も雲もなく快晴のなかの紅葉観賞で、カメラマンが盛んにシャッターを切った。
会員M氏は「昨年よりも雰囲気ありますねと」といい、我々は静かな山の雰囲気のなかに立ち止まり青空を見上げた。樹木の高い紅葉が青空に吸い込まれそうに映えていた。副代表T氏は「このブナは2m超えやね」という。ここは4月にブナ林の調査を行ったばかりである。
筆者はブナの幹周りの大きさを調べるため、両手を広げて苔むしたブナに抱きついてみた。両手を広げても木の幹を抱けず、3m近い大きな木であることが判明した。M氏が、買い換えたばかりの小型のデジカメでこの光景を撮影してくれた。
ここから蛤岳方面の木道へ進むと、木道の直下の斜面にブナの落葉やカエデの見事な紅葉が現れた。記者とカメラマンは「ここもいい場所ですね」といい、紅葉を撮影していた。ここでの撮影が一段落し、駐車場へ引き返した。歩くと、汗ばむほどに暖かい日だった。
駐車場に戻り、紅葉がきれいな脊振神社方面の林道へ記者らを案内したが、紅葉の時期が過ぎていたため、車をUターンさせて飛行機事故にあったアンドレ・ジャッピー記念碑前で車を止めた。記念碑には、下記の事故機の説明があった。
1936年のパリ―東京間100時間飛行にチャレンジしたフランスの飛行家・アンドレ・ジャピー氏の乗った飛行機が燃料切れとなり、福岡に着陸しようと試みたが濃い霧のために脊振の山腹に墜落した。佐賀県神埼村の多くの住民が駆けつけて救出にあたり、手厚い介護でパイロットのジャピー氏は命を落とすことなく 快復して帰国したという。
ここも紅葉がきれいであった。
伝説が残る蛤水道
記者らは蛤水道へ行きたいというため、脊振の自衛隊道路を下り五ケ山ダム方面へと向かった。蛤岳直下の林道では、9月の台風10号で道路には倒木や土砂くずれがあることを予測していたが、小さな枝が散乱している程度であった。
坂本峠方面からの林道と合流する地点に、佐賀森林管理署が管理している鉄のゲートがある。ゲートにはカギがかかっていたが、筆者は森林管理署から鍵の番号を教えてもらっていたため、ゲートを開いて車を通過させることができた。蛤水道の上部の広場に5分ほどで着いた。陽だまりが暖かく感じられた。
撮影の準備をしてゆるい遊歩道を蛤水道へ向かうと、5分ほどで蛤水道記念碑へ届く。ここから幅1mほどの緩いカーブをした水道が佐賀方面へ注いでいる。
蛤水道は、江戸時代には脊振山直下からの湧水が福岡県の那珂川方面へ流れ込んでいたが、この湧水を大きな工事をして佐賀方面へ導いたのである。佐賀は潤ったが福岡は水不足になり、当然、水争いが起きた。赤子をおぶった若い女性が何とか堰を切ろうとして山に入ったが、赤子が泣き出したため、敵に悟られないよう滝壺に赤子を投げ込み、やがて本人も見つかり惨殺されたという悲しい伝説も残っている。蛤水道は、今でも現役の水道である。
絶妙な秋景色を楽しむ
蛤水道沿いを歩きながら黄葉や紅葉の撮影をして蛤岳の登山口へ進んでいると、途中で立派なカメラを提げた男性と出会った。筆者に「池田さんでしょう」と声をかけてきたその男性はクリーンアップ登山に参加された方で、脊振山系が日本山岳資産に認定されたことも知っていた。ありがたいことである。
歩くこと15分で蛤岳登山口へ着くと、にぎやかな高齢の男女7名ほどのパーティが現れた。彼らは蛤岳を周回しているという。ここから、車を止めた場所へ戻ることにした。
最近できた東屋のある場所は、筆者の写真集『脊振讃歌II』に掲載している。落葉があたり一帯を敷き詰められたようで、緩く曲がった水道のカーブとともに絶妙な秋景色の写真を、写真集に取り入れた。副代表 T氏と会員M氏がのんびり秋景色を楽しみながら、語り合って歩く後ろ姿をカメラに収めた。
駐車した場所に戻り、シートを広げてそれぞれに昼食を取った。至福の時でもあり、寝転がり青空を見つめてみたいほどにあたたかい日であった。30分ほど休憩してから林道を下り、ゲートのカギをかけて五ケ山ダム方面から板屋集落へと向かった。記者一行は脊振山頂の写真を撮りたいと再び自衛隊道路へ向かった。我々は記者らが自衛隊道路を入ったのを見届けて、帰途についた。すばらしい紅葉観賞ができて、充実した1日であった。
2020年11月25日
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行関連キーワード
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