6,000年の悠久の地~ギリシャ・クレタ島いかに(1)
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25時間の地の果て
友人が、ギリシャ・クレタ島からオリーブ油を仕入れて商売をしている。その友人から、次のような話をたびたび聞かされたものである。
「オリーブ油の消費量世界一のクレタ島では、心臓疾患の病人が少なく、長寿である。その長寿に貢献しているクレタ島のオリーブの樹は、6,000年の歴史がある」と。繰り返し耳にすると、興味を抱くものだ。「よっしゃ!!行ってみるか」と決めたのは、昨年の年末である。ネットで、航空機チケット・ホテルを予約した。スタートは3月18日(金)の夜であった。現地クレタ島・最大の都市であるイラクリオン(人口16万人)までは、飛行機を乗り継いで25時間もかかったのである。真っ青な空・海
3月18日(金)、福岡を午後8時発の便(JAL)で、まずは羽田へ飛んだ。翌19日の深夜0時15分発のカタール航空813便で、ドーハへ。そこで、顔馴染みの詐欺師カップルと同じ飛行機で出くわす。ドーハへの遊びだとか。ドーハ着が6時5分である。時差6時間を加えると、飛行時間は11時間50分。ニューヨーク並みに時間がかかる。続いて、ドーハを7時15分発のカタール航空209便でアテネへ飛び立つ。ここでは乗り換え時間が1時間しかなかったために、バタバタした。
アテネ到着が11時20分である。5時間5分のフライトであった。アテネからイラクリオンまでは、エーゲ航空316に乗り換えた。アテネ発が午後1時15分で、イラクリオンには午後2時5分に到着した。飛行所要時間は50分であった。クレタ島は、アテネから160kmほど南の地中海に浮かんでいる。福岡空港を出発してイラクリオンに到着するまでの所要時間は、25時間である。本当に疲れた。しかし、クレタ島の真っ青な空と海とを目にしたときに、疲労感は失せてしまった。
2,500年前には、ギリシャ市民国家の一角を担ったクレタ島
クレタ島の詳細に関しては、下記を参照されたし。人口は約60万人。大きさは福岡県の約1.7倍である。東西に230kmから240 kmの長さがあり、南北の短いところでは20km、長いところでは60kmある。島の中央部を東西に走る山並みは、1,000m級以上の尾根が延々と連なっている。標高2,000m以上の山頂も30カ所以上あり、3月末現在でも雪を被った頂きが数多く目撃される。この2,000m級の山頂を境目にして、南北の特徴は対照的である。南側はアフリカの気象の影響を受ける一方で、北側は冬のヨーロッパの季節風をまともに受けるのである。
このクレタ島に、文明の発祥になる人類が住み始めたのは6,000年前と言われている。エジプト文明の影響を色濃く受けているようだ。この島が交通の要所、物流拠点の要所になっている地の利があり、栄えてきたのである。
そして2,500年前には、クレタ島においてアテネ、スパルタなどと並ぶ市民国家が形成されていたのである。クレタ島で民主制の議会が開催されていた当時、日本ではようやく稲作が波及して定住生活が可能になった弥生時代に突入したばかりであった。当時日本は、1,000年以上遅れた後進地域であったのだ。
ギリシャ全土が2,000年前にローマ帝国の属国化されて以降、クレタ島も同様の事態に陥る。ローマ帝国が滅びて以降は、東ローマ帝国の植民地になり下がった。また一時は、ベネチア国に征服されたこともある。近世紀においては、オスマントルコにも支配された時期もある。1945年、第二次世界大戦が終了してようやく、現在のギリシャの独立がなされた。そしてクレタ島も、独立国ギリシャの一翼を担えることになったのである。6,000年の歴史を持つ悠久の地=クレタ島は、2,500年前には世界最先端の市民国家を築いていた。だが、それ以降は幾多の侵略を受け、いろいろな民族の血の交わりも行われてきて現在に至っている。
だが、いかなる国家がこの島を制圧しようとも、変わらないものがあった。水産物に恵まれ、海運業の要所として繁栄し続けてきたことである。農産物、畜産業も人々の暮らしを支えてきた。6,000年の間、クレタ島の民はオリーブとワインを嗜んで、豊かな生活を謳歌してきたのは事実である。独立・独歩の気概にあふれ、身内を助け合う結束力が強いというのがクレタ人の気質のようである。(つづく)
クレタ島について
<地形>
クレタ島は、ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島で、面積は8,336km2。面積は四国の約半分で、福岡県と比較すると約1.7倍の広さである。ギリシャ本土からは約160km南に離れた地中海東部に位置し、エーゲ海の南縁をなす。島の北側(エーゲ海側)の海はクレタ海、南側はリビア海とも呼ばれる。
島は、東西の長さが260kmであるのに対して、南北の幅は広いところで60km、狭いところ(イエラペトラ付近)で12kmほどという、細長い形状の島である。海岸線の長さは1,046kmにおよぶ。<気候>
クレタ島は、地中海と北アフリカの気候区にまたがっている。島の大部分は地中海性の気候であり、温暖である。海との距離によって空気も湿潤であり、冬も気候は穏やか。クレタ島最大の都市イラクリオンは、北緯35度で東京とほぼ同じ緯度である。年間平均気温 は18.3℃、年間平均最高気温は 21.9℃、年間平均最低気温は 14.7℃。
山岳部では11月から5月にかけて降雪が見られ、山頂では1年を通じて雪を戴いているが、低地での降雪はまれであり、降ったとしても積雪することはまずない。2004年2月には大寒波が襲来し、全島にわたって積雪したことがあるが、これは非常にまれな事例である。
夏季には、日平均気温が20度台後半から30度台前半で推移するが、最高気温は30度台後半から40度台前半に至ることもある。<産業>
主な産業は、農業と観光である。農産物は穀物、果物、野菜、豆類などが豊富に実り、なかでも、オリーブの木は島全体で800万本と言われる。クレタ島のオリーブオイルは高品質で知られ、お土産としても大人気。
また、主な観光地はクノッソス宮殿、フェストス遺跡、ゴルティス遺跡、イラクリオン考古学博物館、サマリア渓谷など。サマリア渓谷はトレッキングスポットとして知られている。また、美しい海岸線と温暖な気候で、リゾート地としても多くの人が訪れている。<食事>
1950年に実施された調査により、クレタ島住民は長寿で、ガン発生率が低く、心臓疾患は皆無に等しいという結果が導き出され、クレタの食生活が注目された。その後、クレタ島の伝統的な食生活は「クレタ式ダイエット」と称され、研究が続けられている。
このようなクレタ島の伝統的な食生活を支えているのは、何と言っても良質なオリーブオイル。クレタ島では、パンやお菓子づくりにも、バターの代わりにオリーブオイルを使う。島の内陸部の山側には広大なオリーブ畑が広がっており、ギリシャのオリーブの半分をここで生産しているという。クレタの人々のオリーブオイル消費量は日本人の100倍以上とも言われている。また、たくさんの野菜や野草、豆類、繊維のたっぷり入った黒パンやパクシマディ(ラスク)をよく食べる。<主な都市>
クレタ島最大の都市は、首府である中部のイラクリオンである。この町は、歴史上カンディアとも呼ばれた。西部のハニアがこれに続く。このほか、人口1万人以上の都市には、中西部のレティムノ、東部のアイオス・ニコラオスやイエラペトラなどがある。
主要都市は北岸(クレタ海側)に集まっており、南岸(リビア海側)に位置するのはイエラペトラのみである。イエラペトラは「ギリシャ最南端の町」であるとともに、「ヨーロッパ最南端の町」ともされる。<日本からのアクセス>
日本からクレタ島への一般的な空路は、日本→イスタンブール→アテネ→クレタ島。乗り継ぎ時間を含めると、所用時間は約26時間前後である。関連記事
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