『脊振の自然に魅せられて』番外編:紅葉の四王寺山散策(前)
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「脊振の自然を愛する会」の会員でスキー仲間のSに依頼して11月18日に、太宰府近郊の四王寺山散策に参加した。
Sから「西鉄大牟田線を利用して、都府楼駅で下車」と連絡が入った。通勤時間帯のため、福岡市地下鉄ではザックが通勤者に邪魔にならないように気配りして藤崎駅から乗車し、天神駅で下車、西鉄大牟田線へ向かった。
Sの結婚30年周年へのプレゼントを携えていたが、 Sのザックに入れるとかさ張るため、急行を降りて彼が乗降する大橋駅のコインロッカーに預け、大橋駅から普通電車に乗り換えた。駅のホームにすでに停車していた普通電車の席に腰を下ろし、乗客が少ないローカル線の雰囲気を楽しんだ。やがて、電車はゆっくり動き出した。
ガタゴトと揺れる車窓から福岡市南部の景色を眺めると、線路沿いの敷地に大型クレーン車が見えた。昭和の建物が徐々に失われ、新しい建物に移り変わっており、都心近郊でも都市開発が進んでいると肌で感じた。昭和30~40年頃の見慣れた街の光景が、走馬灯のように頭のなかを流れ行った。
やがて電車は静かに都府楼駅に着き、筆者を含め数人が電車を降りた。駅周辺は静かな街並みであった。待っていると、次の電車でSと今日のリーダーIが電車から降りてきた。以前にIのガイドで油山を歩いてから5年経つ。
明るい日差しのなか、太宰府政庁跡(都府楼跡)へと3人で歩いた。都府楼跡は広大な芝生の広場となっている。女性5人の参加者と合流した。女性グループは、山歩きに慣れたシニアの女性らに見えた。全員がそろったところで、散策コースへ向かった。
今日のルートは、都府楼跡―県民の森―岩谷城跡―もみじ谷―野外音楽堂―百間石垣―小石垣―焼米ケ原―太宰府天満宮―太宰府駅で、標高は200~350m。約6時間のコースである。
しばらく歩くと令和ゆかりの地、坂本八幡宮前に着いた。令和の命名にゆかりのある神社である。平日の早朝で参拝者はおらず、令和の幟が風に吹かれてなびいていた。
参拝を済ませて、県民の森センター方面へ進む。緩い山道を歩くにつれ、きれいに色づいた紅葉も目に入ってきた。四王寺山周辺は白村江の戦いの翌年(664年)、山城として大野城が築かれた。標高200~350mで、史跡めぐるさまざまな散策コースがあるようだ。
11月では初となる気温25℃の夏日であったが、筆者は完全に服装の選び方を誤り、冬用の服装をしていた。冬用の服装を選んでしまったのは、1カ月ほどパソコンが不調のなか、写真の編集に時間を使い、疲れで頭が麻痺していたためだ。山に行く準備ができていなかったのである。
メンバーは全員が初夏用の服装で、筆者は歩くにつれ汗ばんできたため、上着を脱いで速乾性のアンダーウェア1枚で歩いた。心配したSが「寒くありませんか」と声をかけてくれたが、筆者は厚手のストレッチパンツを履いていたため、寒さは感じなかった。
1時間ほど歩いて高台に着くと、大野城の街並みやその遠方に南北70kmの脊振山系を見渡すことができた。脊振山系に道標を立ててから、すでに12年の歳月が過ぎていた。今年は、レスキューポイントも設置した。筆者は格別な思いにひたりながら、脊振山系の展望を楽しんだ。
女性メンバーから、休憩時間にコーヒーをご馳走になった。山で暖かいコーヒーを飲むと、元気が出るものだ。 Sが心遣いで、彼の休憩時間の定番である一口サイズの大福餅とチョコレートを振る舞ってくれた。
しばらく歩くと、竈門神社のある宝満山を右手にして三郡山、若杉山の山並みが目の前に現れた。高校、大学時代とよく歩いた山である。ワンゲルの後輩と縦走してから5年近くが経った山並みを懐かしく眺めた。
(つづく)
2010年12月2日
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行関連キーワード
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