【創業30周年】(株)高太~「人との出会いは宝物」高尾平八郎会長、自らの半生を語る(7)
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建設資材販売などを手がける(株)高太(佐賀市)は今年で設立30周年を迎えた。同社の高尾平八郎会長に自らの半生を振り返ってもらった。
会社が倒産、眠れぬ日々
佐賀地区のリース材は、丸紅建材リースや太洋から出荷してもらっていた。90年の夏のことだった。丸紅建材リースの担当者である大石氏が東京へ転勤、また丸紅九州支社の担当者が東京へ転勤した。「この時期になんでだろう」と不思議に思っていた。
飯田産業の業績は年々良くなり、数年後、福岡証券取引所に上場する計画もあった。この時期、私は長崎営業所の所長兼務の辞令が下りたため、週に1度は長崎地区の営業を行っていた。本社は、(株)共和(鉄骨加工メーカー)との取引で業績は好調。共和から仕入れて丸紅に販売していた。
1990年11月中旬ごろ、丸紅からの毎月5億円の立替支払いが発覚。7月ごろから4カ月間で約20億円にも上った。丸紅本社からは「約束した覚えがない。担当部長が勝手にやったことで丸紅本社は一切関係ない」との回答。取引書類、注文書は部長印だった。大手商社は、もともと部長印で材料の売買や金銭の決裁を行っていた。会社の代表印、支店長印は絶対に使用しない仕組みで、いざというとき、部長の責任で処理されるのである。
この1件は飯田産業の信用問題にまで発展していく。九州管内の土木分野では、鋼材の販売力が圧倒的に強く、敵なしの状況だったが、弱みに付け込まれる結果となった。丸紅建材リース、丸紅社員の東京転勤が頭をよぎった。丸紅九州支社のトップは、この問題によって飯田産業が倒産すると考えていたのではないか、と高尾氏は語る。
本社で会議が開かれ、12月20日をもって会社を閉めることが決まった。事実上の破産だった。NHKの夕方のニュースで報じられ、妻は「今後どうしたらいいの」と泣きながら聞いてくる。子どもたちも心配していた。
営業所と本社を合わせて100人以上の社員が失業することになった。「明日から、楽しく仕事ができなくなるのか」と思うと、涙が止まらず、眠れない日が続いた。
当時、テレビ朝日系で午後10時から放送されていた「ニュースステーション」で、久米宏氏と小宮悦子氏が、丸紅-飯田産業-共和の問題を1週間続けて報道していたことを今でも覚えているそうだ。高尾氏は「丸紅は倒産しなくてもよい会社を潰した。私だけではなく、社員の心の傷は死ぬまで決して癒えないだろう」と語る。
裁判の結果、9年後に丸紅は35億円を飯田産業に支払い、飯田産業は債務者に債務額の90%を支払うことになった。
(つづく)
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