【創業30周年】(株)高太~「人との出会いは宝物」高尾平八郎会長、自らの半生を語る(8)
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建設資材販売などを手がける(株)高太(佐賀市)は今年で設立30周年を迎えた。同社の高尾平八郎会長に自らの半生を振り返ってもらった。
高太設立、「信用を裏切れない」
1991年1月、太洋の石原次長と笠井氏が訪ねてきた。要件は「高尾君が新しく会社を興してはどうか」というものだった。
前年の7月、県内は大水害となり、武雄川、牛津川、松浦川の災害復旧工事に鋼矢板リース、護岸工事に基礎矢板が大量に必要で、年度明けに使用するという情報が入っていた。
「太洋からお金(資金)も物(資材)も出し、全面的にバックアップするから」とのこと。災害復旧工事に間に合わせるには、2月早々に会社を立ち上げなければ間に合わないと判断した高尾氏は、会社の設立日を2月8日に決めた。
高太設立までの間に、佐賀営業所の整理と後片付けを行った。事務所内にはリース材、デスクトップ電算機などがあった。東芝のコピー機やデスクトップ電算機はリース会社と契約していた。
「佐賀営業所を閉鎖するので引き上げてほしい」と連絡したところ、リース会社から「持って帰っても利用価値がない。2カ月分のリース料を支払ってもらえれば、高尾氏に売却してもよい」との返答があった。そこで、2カ月分のリース料の約30万円を振り込み、購入した。事務デスクや金庫などは管財人と打ち合わせて10万円で購入。売上仕入れ台帳は使用できるので、廃棄処分せずに引き取った。
設立した会社の事務所は、飯田産業時代の社宅に近い開成2丁目の木造2階建てを借りた。佐賀営業所の部下だった前田氏、大本氏は大手リース会社に採用された。永田氏は大手食品販売会社に就職した。
設立当初、事務関係は高尾氏の妻が行い、営業は高尾氏だけだったが、当時担当だった太洋の笠井氏が高太の名刺を使って営業面で手助けしてくれた。
ちょうどそのころ、武雄地区の顧客の事務所や、現場で元気に営業しているウチダの社員の姿が目についた。副島氏(当時35歳)だ。彼を佐賀市内の小料理屋に連れていき、「うちに入社しないか」と相談を持ちかけたところ、高太への入社を決意してくれた。2週間後、高太の社員として営業に回る彼の姿を見た高尾氏は、まさに水を得た魚のようだと思ったそうだ。
三井物産九州支社内で、大島部長、水谷氏、青柳氏、森永氏(後に三井物産鉄鋼製品本部本部長補佐、三井物産スチール取締役、現コトブキ社長室長)、木下氏(三井物産、現在カナダ・バンクーバー駐在)、太洋の石原次長、笠井氏らと、今後、高太で販売する仕入先などの打ち合わせを行った。
メーカーとの交渉は三井物産が行い、太洋から全商品を仕入れて販売することにした。太洋の宮坂社長は高太に対し、限度なしで売切り材やリース材などを出荷してくれるようになった。資産も金もない高太と億単位の取引が始まった。ここまで信用された以上、絶対に裏切れない。恩返しをしていかなければと、常に思っていたという。
(つづく)
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