2024年11月14日( 木 )

【コロナで明暗企業(4)】ワタベウェディング~海外挙式が蒸発、胃腸薬「キャベジンコーワ」の興和へ身売り(1)

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 海外ウェディングで一世を風靡したワタベウェディング(株)が自力再建を断念した。新型コロナウイルスで不要不急の渡航が禁止され、海外ウェディングが壊滅的な打撃を受けた。多くのカップルが予定通り挙式できず、海外挙式は催行できなくなった。胃腸薬「キャベジンコーワ」で知られる興和(株)に身売りすることが決まった。

私的整理 興和の完全子会社化に

 ブライダル大手のワタベウェディング(株)(京都市、東証一部上場)は3月19日、私的整理の一種である事業再生ADR(裁判以外の方法での紛争解決)を利用して経営再建すると発表した。胃腸薬「キャベジンコーワ」で知られる医薬品メーカーの興和(株)(名古屋市、非上場)が20億円を出資し、ワタベが第三者割当増資で発行する新株を引き受ける。同時に、ワタベが既存の自社株式をすべて回収し興和に売却。一連の手続きを経て、6月末に興和はワタベを完全子会社とし、経営再建を主導する。ワタベは5月28日に臨時株主総会を開き、承認を得る方針だ。

 ワタベは、興和の支援を受ける前提として事業再生ADRを申請した。事業再生ADRは、経営難の企業と金融機関などの債権者が、政府の認証を受けた第三者機関を介して再建について話し合う仕組み。民事再生手続きのように裁判所を通さないため、より早く再建できる利点があるとされる。金融機関に債権の一部放棄を求める。花房伸晃社長ら経営陣15人は退任する。東証一部を上場廃止になる。

ワタベ8億円、目黒雅叙園16億円、メルパルク33億円の債務超過

 ワタベはハワイや沖縄といったリゾート地で婚礼事業を展開し、国内76拠点、海外33拠点(2021年1月1日現在)をもつ。東京・目黒の「ホテル雅叙園東京」や、全国で「メルパルク」(旧・郵便貯金会館)11店も運営している。

 売上のおよそ50%を海外などのリゾート挙式に依存しており、コロナ禍による渡航制限で大きなダメージを受けた。海外婚礼のほとんどが中止、国内の婚礼の多くもキャンセルや延期となった。

 20年12月期の連結売上高は前年同期比61%減の196億円。リゾートウェディングの売上は82億円と同63%も減少した。19年より、決算期を3月から12月に変更しており、増減率は前年の同期間(19年1~12月)との比較となる。

 最終損益は過去最悪の117億円の赤字(前年同期は7億円の黒字)を計上し、8億円の債務超過に転落した。19年12月末には、111億円の純資産があり、自己資本比率44.4%という財務内容を誇っていたが、奈落に突き落とされた。この間、従業員の2割弱にあたる130人の希望退職を実施したほか、国内外の直営店や婚礼会場など約30拠点を閉鎖した。

 04年に買収した目黒雅叙園(現・ホテル雅叙園東京)を運営する(株)目黒雅叙園は同時期に24億円の損失を計上、16億円の債務超過。08年に子会社化したメルパルク(株)も39億円の損失を計上して33億円の債務超過となった。

 コロナで渡航制限がかかるなか、ワタベは海外挙式の比重が高いため、競合他社と比較しても業績の戻りに時間がかかる。加えて、目黒雅叙園とメルパルクが同時に債務超過になってしまったため、自力再建を断念した。

ハワイなどのリゾート地で式を挙げる「リゾート婚」の草分け

 ワタベウェディングは1953年7月、京都市でワタベ衣裳店として創業。終戦後の物資不足で婚礼衣装を整えられない夫婦のため、渡部フジ氏が自身の着用した振り袖を無償で貸し出したのが始まり。

 息子の渡部隆夫氏は1941年2月生まれ。寝ずに働く母の背中を見て育った隆夫氏は京都府立山城高校を卒業後、ワタベ衣裳店に入社。71年4月、株式会社に改組。専務に就く。貸衣裳業は結婚式場の付帯サービスといった側面が強く、式場には地場の業者が必ず食い込んでいる。このため、国内での事業拡大は容易ではない。

 「海外での挙式が増えている」という話を聞き興味をもった隆夫氏は、市場調査の後、大きなニーズがあることを確信。旅行代理店と提携し、海外挙式の相談にきた客を紹介してもらう仕組みをつくる。73年、「日本で衣裳を選んで、現地の店で借りる」というコンセプトのもとに、ハワイにホノルル店をオープン。初年度は、年間1,000組を集客した。

 結婚式と新婚旅行を兼ねたサービスを提供するようになり、海外リゾート婚市場を切り拓いたパイオニアという名声を得る。78年10月、隆夫氏は37歳で社長に就いた。

(つづく)

【森村 和男】

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