【コロナで明暗企業(4)】ワタベウェディング~海外挙式が蒸発、胃腸薬「キャベジンコーワ」の興和へ身売り(2)
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海外ウェディングで一世を風靡したワタベウェディング(株)が自力再建を断念した。新型コロナウイルスで不要不急の渡航が禁止され、海外ウェディングが壊滅的な打撃を受けた。多くのカップルが予定通り挙式できず、海外挙式は催行できなくなった。胃腸薬「キャベジンコーワ」で知られる興和(株)に身売りすることが決まった。
京セラ創業者・稲盛和夫氏を塾長に「盛和塾」を立ち上げる
渡部隆夫氏は京セラ創業者、稲盛和夫名誉会長を人生の師と仰ぐ。稲盛氏から「経営者としてのフィロソフィ」と「アメーバ経営」を学び、ウェディング業界初の上場を達成できたと語っている。
きっかけは、京都青年会議所(JCI京都)の勉強会に、稲盛氏を講師に招いたこと。登壇した稲盛氏は、「平日の18時に若い君たちが、会社を抜け出して何をやっているんだ。どうせ飲むために集まっているんだろう。勉強会などくだらないことをやってないで会社に戻って仕事をしろ!」と一喝。講演はストップした。あわてた渡部氏は、帰ろうとする稲盛氏にお願いして、講演を続けてもらった。
質疑応答の時間になり、渡部氏は一番に手をあげ、「アメーバ経営とはどういうものかを教えてください」と発言した。すると、稲盛氏は渡部氏をにらみ、「経営のことは自分で考えろ!」と、きつい調子で叱られた。
そのときの出会いは強烈だった。1983年に渡部氏ら京都の若手経営者が稲盛氏を囲む勉強会「盛友塾」をつくった。「稲盛氏は人間として何が正しいのか、鍋をつつきながら質問に答えてくれた」と渡部氏は語っている。89年に「盛和塾」に名称変更して全国組織に拡大。塾生は約1万5,000人を抱える経営塾に育った。
盛和塾は2019年7月、最後の世界大会を横浜市で開き、稲盛氏が高齢となったため12月に解散した。「皆さんの今後の経営に私のフィロソフィが生き続けることを願います」。欠席した、稲盛氏の講和が代読されると、約4,800人の会員から拍手が鳴り響いた、とメディアは報じた。
稲盛氏を塾長に、中小企業経営者らに経営哲学を伝える「盛和塾」を立ち上げたのは、渡部隆夫氏などの若手経営者らだった。
国内最大の結婚式場「目黒雅叙園」を買収
渡部氏は1996年8月、社名をワタベウェディングに社名変更。海外挙式サービスや婚礼用衣装のレンタルや販売まで幅広く手掛け、同社を業界最大手に育て上げた。それが評価され、97年12月大阪証券取引所2部、京都証券取引所に上場をはたした。2000年11月東京証券取引所2部に上場。04年3月東証・大証1部に指定替えとなった。
その年が最大の転機となった。国内最大の結婚式場・目黒雅叙園(東京・目黒)を子会社化し、国内挙式事業へ進出した。目黒雅叙園は細川力蔵氏が1931年、本格的な北京料理や日本料理を提供する料亭として開業。これは、国内最初の総合結婚式場でもあった。
木造(旧館)の目黒雅叙園は太宰治の小説『佳日』に登場する。きらびやかな装飾を施された園内の様子は「昭和の竜宮城」と呼ばれた。2001年に公開された宮崎駿監督の長編アニメ『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルになったことでも有名だ。
創業者、細川氏が亡くなった後は、同族による経営が行われていたが、一族間で内紛が発生。運営会社の(株)雅秀エンタープライズが02年8月、東京地裁に民事再生手続きの適用を申請して破綻。負債総額は883億円にのぼった。
最大の債権者である米投資ファンド、ローン・スターが買収し、雅秀エンタープライズを現在の目黒雅叙園として再建。04年5月、結婚式場の運営権を結婚式場大手のワタベウェディングに譲渡。ワタベが目黒雅叙園の全株式を取得し、完全子会社化した。
隆夫氏は、米ハワイなど世界の有名リゾート地で結婚式を挙げる「リゾート婚」で一世を風靡したが、目黒雅叙園で結婚式場を運営するようになり、挙式もハネムーンも手がける総合ブライダル企業に育て上げた。
(つづく)
【森村 和男】
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