「させていただきます」って、意味分かりますか?(後)
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「やらさせていただきます」。4月5日の国会で、菅総理の答弁中に使われた言葉だ(聞き間違えだといいのだが)。最近、やたら意味不明の敬語を乱発するのを見聞きする機会が多い。とくに、役所や社会福祉協議会など公的な部署での講演会やフォーラムなどで耳にする。「やらせていただきます」ではなく、「やります」でいいのではないか。なんだか、無理して住民にへつらい、へりくだっているように聞こえて不愉快になる。こうした「NG敬語」が普通に使われている現状を考察してみた。
敬意のインフレーション
「させていただく」については、「相手側、または第三者に許可を受けて行う場合―そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合、この2つの条件がある場合だけ、『させていただく』が適切だ」(文化庁文化審議会答申より)と規定されている。
こちらが何かを依頼して、それが許可されたときに使うのが適切とのこと。たとえば、「こちらがお願いして、部屋をお借りしたときの『使わせていただく』。こちらがお願いして、資料を写したときの『写させていただく』などはOK(ブログ「TRILL(トリル)」 2021年3月31日)」などだ。
「二重敬語」についても、
「○○さまは、お帰りになられました」
→「○○さまは、お帰りになりました」。「○○さまが、このようにおっしゃられています」
→「○○さまが、このようにおっしゃっています」。「○時に、うかがわせていただきます」
→「○時に、うかがいます」「本日司会を務めさせていただく○○です」
→「本日司会を務めます○○です」(同)でいい。単純でいいにもかかわらず、丁寧語を「盛り込む」ほど相手に対して失礼になることを知らないようだ。
これを「敬意のインフレーション」と表現するのは、法政大学文学部英文学科教授・椎名美智氏だ。椎名氏は『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』(ひつじ書房)の筆者である。
「Yahoo!ニュース NEWSポストセブン」(3月8日)のなかで、この現象が顕著になったのは、「明治維新のころから、社会の身分制度が表向きはなくなったことで、相手がどういう立場の人なのか、わかりにくくなったんです。そこで、失礼のないようにと、敬語がたくさん使われるようになりました。敬語は、相手との距離や上下関係を調整する言葉だからです。19世紀後半には『させていただく』が誕生しています」(椎名氏)という。
空気を読むという「無意識の防御」
それにしても「させていただく」の大安売りには、不気味ささえ感じられる。とりあえず使っておけば問題にされることはないだろうという「安易な自己防衛本能」が働いている。「無難に」「ことなく(平穏に)」やり過ごすには、大変重宝する表現の仕方だ。
椎名氏は、下記のように述べている。
飲食を「禁止させていただく」などといったポスターの文言。決定権があるのはあちら側なのに、こちら側に決定権があるかのように書かれているので、偽善的な印象を受けます。「申し訳ありませんが、ここでは~できません」という表現でいいと思うんです。
「させて」と、“もらう”の敬語である「いただく」から成る言葉です。意味を見ていくと、「させて」で、人から何らかの「恩恵」を受ける。つまり本来は、許可や恩恵をもらう「他者=あなた」を前提とした言葉です。「あなたの許可を得て、ありがたいことに~をいただく」という意味です(同)。
一方、現在では相手(他者)がいない場合や、自分が自発的に行う行為にも、「させていただく」を使う。誰に、何のために…。これが鴻上氏のいう「世間」であり、相手の「空気」を読むことなのだろう。「無意識の防御」が働く。
鴻上の著書『「空気」と世間』の表紙カバー(通称「腰巻き」)にある、『「空気」を読まずに息苦しい日本を生き抜く方法―会社、学校、家族、ネット、電車内―どこでも「うんざり」してしまう人へ』という文言の持つ凄みが増す。現代の人間は、「世間」の目を気にし、「空気」を読みながら過ごす術を身につけていく。このほうがたしかに「安全」「無難」ではある。
某新古書店では、ただ闇雲に「いらっしゃいませ、こんにちは!」を連発する。入店するだけで、いきなりこういわれ、客の顔も見ないでくり返し連呼されると不愉快になる。会社の規則だから、店長に逆らえないから、従っている方が面倒ではないから…。おそらく若い人には気にならないのだ。
鴻上氏は同書で、「微笑んだ元気な『ひとり言』です」と切り捨てる。行きつけの飲み屋で、入店すると「お帰りなさい」、店を出るときに「行ってらっしゃい」とさりげなくいわれても、そこに商売としての「あざとさ」を感じさせない卓越したスキルがあれば不愉快に感じることはない。空砲のように同じ言葉を連呼する。まるで動詞に付ける助動詞のように「させていただく」を言葉のあちらこちらに付ける。
「新しい言葉を使い始めるのは女子高生である」と椎名氏はいう。新しい言葉に反応するのも若い人々であるが、後期高齢者の筆者には、正直、気になって仕方がない。NHKさん、「ら抜き言葉」が出たら、せめて修正したテロップをこれまでどおり流してほしい。「生きれる」という言葉の使い方は到底、受入れ難い。
(了)
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。関連キーワード
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