2024年11月22日( 金 )

3代で積み上げてきた技術と信頼を次世代へ、そして福岡の未来へ

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日建建設(株) 代表取締役 金子 幸生 氏

戦後福岡の歩みを刻んだ老舗地場ゼネコン

日建建設(株) 代表取締役 金子 幸生 氏
日建建設(株)
代表取締役 金子 幸生 氏

 戦後の焼け野原から今日の活気あふれる商業都市へと成長を遂げていった、福岡市の75年の歩みを語るうえで、日建建設(株)の存在は欠かせない。故・金子恒喜氏によって1946年10年に創業、50年3月に株式改組して設立されて以来、公営住宅や教育・文化施設などの公共建築物から分譲マンションやオフィスビル、医療・福祉施設、商業施設に至るまで、福岡エリアにおけるあらゆる種類の建築物を手がけてきた。

 目まぐるしく移り変わる時代の要請に応えていく、その長い道のりのなかで培っていったのは、高い技術力と人々の厚い信頼。得がたいその宝を常に磨き上げるとともに、新しい時代へ長く伝えていくために、同社は近年、社員の教育体制と受注体制の構築に力を注いできた。まず、社員数24名の少数精鋭体制である。新卒を毎年一定数受け入れ、ベテラン社員が1人ひとり大切に育て上げる。20〜30代の若手でも相当の仕事量をこなすために、精神的にも技術的にも成長スピードが速く、かつ建設のプロフェッショナル集団としての一体感も醸成される。次に、同時施工を5、6件に抑えるという、適正な受注体制の構築である。同社はこのようにして建築物のクオリティーの高さを維持し、さらなる高みへと飛翔しようとしている。

事業承継の模範企業〜3代目の矜持

日建建設新社屋
日建建設新社屋

 そんな同社は、事業承継の模範的存在でもある。というのも、創業者・金子恒喜氏、二代目・金子博樹氏そして現在の代表取締役・金子幸生氏の三代で事業を発展させてきた企業なのだ。幸生氏が父から同社の経営を引き継いだのは2002年、まだ30代の若さであった。

 就任4年目にしてグループ年商2期連続2ケタ増を達成した同氏も、08年のリーマン・ショックに端を発した建設不況の時期はすっかり苦境に陥る。だが、それを乗り越える原動力となったのは、3代目の誇りと責任感だった。当時を知る複数の地場業界関係者はこう話す。

 「金子さんは自社がピンチに立たされても、降りかかる火の粉から逃げずに対応し、危機を突破しました。これはなかなかできることではありません。何事も、決して背中を見せることなく、いつもの誠実さと丁寧さで必ずやり遂げる。しかも、自社経営で多忙を極める日々にあって、常に業界発展のために汗水流している姿を目の当たりにしています。金子さんが地場業界の活性化をリードする方であることは明らかです。メジャー大手企業とも正々堂々と渡り合える胆力も具えた金子さんには、皆大きな期待を寄せております」。

 同氏も今年で53歳。家業の持続発展に尽力しながら、(一社)福岡市建設業協会・会長および(一社)九州住宅産業協会・副理事長なども務め、いまや福岡市の未来をつくるうえでのキーパーソンとなっている。六本松に完成した新たな本社ビルとともに、日建建設も未来へ向けて歩みを進める。


<COMPANY INFORMATION>
代 表:金子 幸生
所在地:福岡市中央区六本松3-16-33
設 立:1950年3月
資本金:5,000万円
TEL:092-731-2434
URL:http://www.nikken-co.jp


<プロフィール>
金子 幸生
(かねこ ゆきお)
1968年4月16日、福岡市生まれ。西南学院大学法学部卒。福岡地所(株)を経て95年5月、日建建設(株)入社。2002年1月、代表取締役に就任。(一社)福岡市建設業協会・会長、(一社)九州住宅産業協会・副理事長を務める。趣味はゴルフ。

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