2024年12月23日( 月 )

出会い、つながり、奥田流~北九州・希望のまちプロジェクト(4)

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 これまで3,600人余りのホームレスの自立を支援した認定NPO法人・抱樸理事長・奥田知志氏(58)は「かわいそうな人を助けているという構図ではない。そうしなければ私自身が生きていけないのだ」と語る。この言葉の背景には奥田氏の「キリスト者」としての深い宗教的認識があるだろう。その認識のもと、長い年月をかけて1人ひとりの困窮者と向き合うなかで“闘う牧師”と異名をとるほどの実行力を培ってきた。奥田氏にとっては今も、出会いが力の源泉なのだ。

パトロール

「留守やねえ。弁当、置いとこう」

 北九州市小倉北区の中心部を流れる紫川沿い。JR鉄道橋下にビニールシートや段ボールでつくられた“すみか”をのぞき込んだ奥田氏は、路上生活者のTさんが不在なのを見て、近くのコンビニエンスストアで買った弁当をそっと置いた。

紫川沿い イメージ 9月下旬、同区の勝山公園横の広場で開いた炊き出しの後、奥田氏は抱樸スタッフやボランティアらとともに、JR小倉駅を起点とするコースで“パトロール”に出た。炊き出しに来られなかった人に弁当を配ったり、他に必要な物はないかを聞き取ったり、安否確認をするためだ。市内の他の場所でも2方面にわかれて巡回している。

 駅からはさらに2グループにわかれたが、奥田氏は独自にTさんを訪ねた。JRに鉄道橋下からの立ち退きを要請されているといい、気になっていた。奥田氏は残念そうな表情で立ち去り、さっき別れたパトロール隊と合流するために川沿いを歩いた。以前は、紫川河畔には路上生活者がぽつりぽつりと暮らしていた。炊き出しをした勝山公園にも少なからずいた。だが、今はほとんどいなくなった。抱樸の活動が功を奏したともいえるし、きれいに整備された河畔や公園では彼らは暮らしにくいのかもしれない。

出会い、つながり続ける

 川沿いを歩く奥田氏は、向こうから歩いてくるTさんに出くわした。

「やあ、Tさん。今、弁当置いてきたよ」
「すいません」

 そう答えるTさんの手には弁当が…。パトロール隊に会ってもらったのだという。

「まあ、いいや。両方食べなよ」

北九州 イメージ そう言って奥田氏はTさんとともにガードレールの基礎部分のコンクリートに腰を下ろした。体調などを聞き、つい先日襲来した台風の影響などを尋ねる。「寒かったあ」というTさん。「何かあったときは電話ちょうだいよ」と奥田氏がテレホンカードを渡す。Tさんは「すんません」と受け取った。Tさんはがっちりした体格、顔色は浅黒いが、不潔な感じはしない。こめかみに少し白髪があり、60代くらいに見える。口調ははっきりしている。時折、遠くを見るような目をして話す。

 奥田氏がいう。

「この秋でケリつけてさ、ウチかワンルームに入らんね?」

 ウチとは抱樸が運営する宿泊施設付き支援拠点「抱樸館北九州」、ワンルームは抱樸が借りて困窮者にサブリースするマンションのことだろう。要は路上生活からの脱出の誘いである。奥田氏は市役所に行けばさまざまな支援が得られること、その手続きなどについて話すが、Tさんは、

「いや、いいよ」

 と静かに断った。そして、しばらく夜風に吹かれた後、「さあて、帰って寝るか」と立ち上がった。奥田氏も腰を上げ、穏やかな口調で語りかける。

「元気なうちにこっちの手伝いに入ってちょうだい。人の世話をするのもいいもんだよ」

 抱樸に少なからずいる脱ホームレスの自立者と同じように、抱樸の事業に関わらないかという問いかけである。それができそうな雰囲気がTさんにはある。

 奥田氏はTさんと出会って6、7年になるという。ずっとこうしたつかず離れずの関係だ。緩やかにつながり続ける。「あなたは1人じゃない」という気持ちを伝えながら。それが奥田流の出会いであり、つながり方なのだ。

(つづく)

【山下 誠吾】


<プロフィール>
奥田 知志
(おくだ・ともし)
奥田知志氏1963年生まれ、滋賀県出身。日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会牧師。認定NPO法人抱樸理事長。関西学院大学神学部大学院修士課程修了、西南学院大学神学部専攻科卒業、九州大学大学院博士課程後期単位取得。(公財)共生地域創造財団、ホームレス支援全国ネットワーク、生活困窮者自立支援全国ネットワークなど代表。第1回(2016年度)賀川豊彦賞、第19回(2017年度)糸賀一雄記念賞受賞。著書に『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)、『いつか笑える日が来る』(同)、『ユダよ、帰れ』(新教出版社)など。

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