ウクライナ報道に隠れ、ミャンマー国軍の弾圧が苛烈に(1)
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歯科医師
「福岡・ミャンマー友だちの会」代表
松本 敏秀 氏日本政府はロシアのウクライナ侵攻に対し、人道的支援などにアジアではいち早く乗り出した。一方で昨年の軍事クーデター以降内戦状態にあるミャンマーへの姿勢は対照的で、避難民支援は消極的だ。ミャンマーは元来親日的であったが、民主化を望む多数派の国民のあいだで日本政府への不信が広まってきている。ミャンマーで予防歯科などのボランティア活動に長年従事してきた松本敏秀氏(「福岡・ミャンマー友だちの会」代表)は、早く対処しなければ、対日イメージが悪化し、今後の両国の交流・協力関係に悪影響をおよぼしかねないと懸念する。
──ミャンマーで活動を行うようになったきっかけについて教えてください。
松本敏秀氏(以下、松本) 私がかつて在籍していた九州大学歯学部小児歯科では、発展途上国からの留学生を積極的に受け入れていました。そうしたなか、1988年ミャンマー(当時はビルマ)で起こった民主化要求運動を、軍が武力で弾圧しました。現地の大学が閉鎖されるなど締め付けが進み、日本への留学を希望していたミャンマー人歯科医師の受け入れに、縁あって私が奔走したのが始まりです。当時は、電話やFAXもなかなか通じず、手紙ぐらいしか連絡手段がありませんでした。しかし、返事がなかなか戻ってこず、何通も送り続け、ようやく彼を留学に呼べたのは、約1年半後の91年でした。彼は6年滞在し、その間同じ医局の日本人女性の歯科医と結婚し、97年に妻をともない帰国しました。
私は96年に大学を辞め、糸島で開業しました。彼らは2003年ミャンマー初の小児歯科医院をヤンゴンに設立し、その際、私は日本で知り合いの歯科医に声をかけ、機材などを集めてもっていくなどの支援を行いました。同院設立の目的は、日本並みの治療と並行して、ミャンマー人歯科医に研修の場を提供することであり、彼らは、さら診療で得た収入を基に、無医村地域を回ってボランティアで治療を行うことも考えていました。私も将来は現地に赴き、その活動の支援をすると彼らと約束していました。
その後、後輩の女性歯科医が病気で亡くなり、やむを得ず閉院しました。11年に私自身のクリニックを閉め、その意を汲み本格的にミャンマーでのボランティア活動に従事するようになりました。
活動では、医者がほとんどいなくて医療環境に恵まれない地域を回ってきました。とくに少数民族が多く住む地域の村などです。それらの村は電気も水もない場所がほとんどであり、虫歯など口の病気の治療よりも、まず虫歯の予防、加えて口からの感染症を予防することも必要だと考え、手洗いやうがいなどの公衆衛生指導も行ってきました。
虫歯予防では、歯ブラシを提供するにとどまらず、正しい磨き方を教える活動を行いました。無医村地区がほとんどなので、NPO団体の現地スタッフ、地域のリーダー、教師などにも指導方法を伝え、私に代わって指導できるようにしました。なお、現地の歯ブラシの質が悪かったため、日本から仕入れてもっていきました。20年2月までに、歯ブラシは約22万本を運びました。
──日本国内で両国の友好交流促進のための活動を行っていますね。
松本 12年に福岡で「福岡・ミャンマー友だちの会」を設立し活動を行ってきました。私はミャンマーで現地の人たちにとてもお世話になっていて、彼らに十分恩返しをできていないと感じてきました。そこで、福岡にいる間はミャンマー人の手伝いをしたいと考えたのです。
地域住民の人たちと当地のミャンマー人との交流を促進するため、お互いの国の料理などをつくっての文化交流、博多どんたくへの参加、糸島の市民まつりでのバザーなどを行ってきました。また、病気や子どもの教育などにおける生活支援も行ってきました。設立当時、福岡には約200人のミャンマー人が住んでおり、現在は約1,600人に増えています。当初は留学生、留学後に福岡近郊で仕事をしている人、結婚して居住している人がほとんどでしたが、最近は技能実習生などが急増しています。
さて、ミャンマーは11年に民主化へのロードマップを公表しましたが、当時はまだ軍事政権の施政下にあり、世界中が疑いの目で見ていました。その後しだいに、西側に近づく様子を見せ始め、アウンサン・スーチー氏が自宅軟禁から解放され、表に出てくるようになってきたので、軍事政権は本気で民主化を進める意思があると、国内外の皆がそう思いはじめました。
昨年2月1日、軍によるクーデターが発生し、いまだ深刻な状況は続いています。民主化が進みすぎると、国軍がイニシアチブを握れなくなってしまうのを恐れ、軍事クーデターを起こした、との見方が大勢を占めています。今振り返ると結果論ですが、一時的に民主化することで、欧米諸国からの経済制裁を解かせ、軍高級幹部や政商の個人資産凍結解除も期待するカモフラージュでもあった可能性も否定できません。
ミャンマーにはロシアなどと同様、政権と結びついた政商が多くいます。軍と結びついてビジネスに従事し、なかには発展途上国の国家予算規模の私財を蓄えている者もいるそうです。民主化にともない、彼らも軍高級幹部らとともに欧米諸国からの経済制裁リストから外されました。その後は、軍高級幹部ともども資産を海外に移し、子孫が海外に移住しても一生安泰なようにしているとのことです。具体的な移転先はわかりませんが、タックスヘイブンの地域などに分散しているのでしょう。日本も含まれているかもしれません。
(つづく)
【文・構成:茅野 雅弘】
<プロフィール>
松本敏秀(まつもと・としひで)
1983年九州大学歯学部卒、87年同大学院歯学研究科博士課程修了後、同大小児歯科に勤務。96年松本こども歯科クリニックに開院、2011年同クリニックを閉院し、ミャンマーなど東南アジアでのボランティア活動を開始。12年「福岡・ミャンマー友だちの会」を設立、代表に就任。この間、九大歯学部非常勤講師、臨床教授、卒後研修医指導医などを兼任。2019年西日本国際財団第20回アジア貢献賞受賞。関連記事
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