2024年11月22日( 金 )

視覚障がい者は何を見ているのだろうか(後)

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大さんのシニアリポート第110回

イメージ画像    生まれつき全盲だったシズにとって、身近に触れることのできるもの以外は、そのかたちも、匂いも、味も、肌触りも、指と鼻で感じることは不可能だ。それを唯一自分なりに解釈できたのは、耳から入る情報だった。目明きの瞽女や村人が話すことに耳を傾けるだけでよかった。ラジオのスイッチをひねるだけでシズの知らない世界を知ることができた。

 飛行機や鳥は空を飛び、雪や雲の色は白く、信州を流れる千曲川は、ゴーゴーと音をたてて流れ、月のものが深紅であることをシズは知っている。しかし、飛行機や鳥がどのような格好で空を飛んでいるのかを知らない。雪は冷たいということを知ってはいるが、「白」がどのような色なのかを知らない。千曲川の濁流音は聞いて知っていても、場所によっては逆白波をたてながら流れている千曲川を知らない。月のものがお腰を汚すことは知っていても、深紅という色を知らない。知らなくともよかった。知らない話が出てきたら、黙って聞いていればよかった。

 生来の盲女であり続けたシズにとっても、「白」は美しい色であり、大空は広く、自由で、きれいに澄んでいる。これだけで十分だった。シズには「美しい」=「汚い」、「優しい」=「優しくない」、「良い」=「悪い」という感性の部分での判断で十分だった。五感の揃った私が目にしたものと、シズが心のなかで思い描いたものが、たとえ同じものでなくとも互いの意思は十分に通い合えるものなのだ。

 視覚を失った瞽女たちは、身近にあるものはできる限り手で触れ、匂いを嗅いでその存在を確認しようとした。食事の後、シズたちは必ず茶碗のなかを指でなぞって、飯粒が残されていないかをたしかめてから食事を終えた。その様子を見た村人たちは、「さすがに米を大切にしなさる人たちだ。目明きのわたしたちより行儀がいい」といって称賛した。味覚も茄子の漬物の農紺色を見ることはできなくとも、味もかたちも識別できた。

イメージ画像    信州への夏旅に出るとキクエは、「信州の匂いは越後とどうしてこうも違うものなのか」といった。越後よりも山が高く、その分空気が澄んでいるからだという。四季を感じるにも単に時間の経過だけではなく、庭や野に咲く花、風にざわめく木の葉の音、大気の匂いを嗅ぎ、肌で風の動きや冷たさをたしかめて季節を知った。

 伊藤は、「暗闇に入ると、足の裏からこれほど多くの情報が得られるのかと、その豊かさに驚きます。見えない世界では、サーチライトの役割をはたすのは、目ではなく、足なのです。自分が立っているそこが土なのか、絨毯の上なのか。傾いているのか、平らなのか。体重をかけていいのか、まずいのか。もし見えないまま和室のなかを歩いているとすると、畳の目の向きから、壁の方向さえ推測できるかもしれません」。

 瞽女たちが最も恐れたことの1つが、自分が今どこにいるのか、という相手との位置(距離)がはっきりしないとき、相手が何者か読めないときである。面白いことに、瞽女としてもらわれてきた(正確には、預けられた)子どもたちが、最初に体験する試練は家の広さでも、見たこともない先輩たちでもない。実は銭湯だった。瞽女の家には風呂がない。銭湯を利用することになるのだが、ガランとした広い浴室もさることながら、足の届かない、キクエの言葉を借りれば、「海のような」浴槽で、そのうえ桶のぶつかり合う音や話し声が木霊して、それこそ気を失わんばかりに動転したという。

 伊藤はまた、「たとえば子どもや恋人と手をつないでいるとき、感じるのは相手の手ではなくて、その存在全体です。相手の気持ちがどこに向いているのか、どんな気分なのか、具体的に感じることができるかもしれません」と、手の感触だけで相手の心のなかまで見透かしてしまう。瞽女の歩行は、手引きを先頭に、次の人は手引きの荷物に触れ、次も前の人の荷物に触れる。「触れるだけで相手の気持ちまで読める」とキクエはいう。「触覚や聴覚や全身を使って『見る』ことができるように、自分以外の人と言葉を交わすことによって『見る』こともできます」という。瞽女は身体全体を使って見ているのだ。

 さて、運営する「サロン幸福亭ぐるり」の高齢者も、いずれ身体が思うように動かなくなるときがくる。「五感」を研ぎ澄ませ、「その時」が来るのを少しでも遅らせる努力をする人って、いないだろうなあ。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第110回・前)
(第111回・前)

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