2024年11月22日( 金 )

【清々しい品格(2)】己の役目を生涯にわたり貫徹

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子どもたちの救済が最終的な使命

新聞記者 イメージ    仕事柄、新聞記者たちとの付き合いが多い。しかし、最近は彼らから情報をもらうことが少なくなった。また、こちらに残された時間も少なくなってきたこともあり、限られた記者と付き合うようにしている。

 先日、感動した出来事があった。現役を引退したAという記者と小倉で慰労の意味を込めた会食をしたときのことだ。会食の内容については後で触れるが、Aは暴力団担当記者として名声が全国に轟いている。かつてAが所属していた新聞社のホームページには「講師依頼リスト5人衆」として紹介されていた。

 Aとの付き合いは1990年からである。新聞社の人事の特徴として、入社後3~4年は地方回りをさせられる。Aもほかの記者と同様、筆者のもとに挨拶にきた。それから3年ほど付き合ったが、Aほど優秀な記者を見たことがない。筆者はAにさまざまな「特ダネネタ」を提供した。3回提供してうまく「料理できない記者」とは付き合いを絶っていたのだが、Aは投げたネタをことごとくスクープ記事にした。その後、Aは東京に異動となり、次第に疎遠となっていく。

 それから15年が経過。面倒を見ていた若手記者Bが東京へ転勤した。筆者は上京した際、銀座でBと会食した。Bは「今、警視庁を担当しています」と自慢げに語ったので、「誰がキャップなの?」と尋ねたところ「Aさんです」という答えが返ってきた。筆者は思わず口に含んでいた焼酎を吹き出した。「福岡にいたAさんか」と確認したところ、「そうです」とB。ここからAとの縁が復活した。後日、上京した際、久しぶりにAと旧交を温めた。Aは決して自慢話をするような男ではない。「現在、警視庁のキャップを任されている。若手記者たち15名の指導をするのも大変だ」と淡々とした口調で語る。Aは警視庁キャップを連続で6期こなした。社内では最長記録のようである。その後の席上でもAは、この誇るべき実績を自慢することはなかった。

 5年前、Aから「北九州に異動してきた」という連絡があった。「そうか。おそらくこれが最後の仕事だな。工藤会の結末をAにまとめさせようというのが会社の狙いだろう」と勝手に推測した。そこで、要となる関係者を紹介したところ、Aは期待通りの活躍をしてくれたのである。この新聞社の工藤会特集記事は非常に的確で、核心を突いていた。彼の功績だろう。そして冒頭の退職慰労の会食へと至ったのである。

暴力団組員の連れ子虐待を目撃して

 会食の席上、Aに「工藤会の顛末記をまとめる準備があるのか」と聞いてみたところ、「そんなことは二の次で、保育士の資格を取ることが先決だ。4月から短大に通うから忙しくなる」と、こちらが想像もしていなかった答えが返ってきた。筆者は「やりがいのある仕事から離れてしまって混乱しているのか?」と一瞬、馬鹿なことを考えた。ところが話を聞いていくうちにAが胸に秘めた使命感を知って己を深く恥じるとともに、「思った以上に感受性が豊かな男だ」と改めて尊敬の念を抱いたのである。

 「取材のため数えきれないほどヤクザの自宅を訪問した。ヤクザといえども血を分けた実の子に暴力を振るうことはあまりない。しかし、連れ子となると暴力を振るうケースが実に多く、何度もそうした光景を目撃した。年齢を重ねるにつれ、こうした子どもたちを守り、育てる環境・空間づくりをするのが第二の人生の使命だと確信するようになった」と保育士資格を取得しようと思った経緯について語る。そして、「現役記者時代のように講釈・論評ばかりでは一歩も前進できない。事業を始めるにしても自身が保育士の資格を取るところからスタートするのが大事だ」と強調した。

 筆者は引退した記者で、ここまで社会貢献活動をしようとした人間に会ったことはなかったので、思わず「こいつは立派な人間だ」と叫んでしまった。

 今後、Aについての記事を定期的に掲載していくことにする。

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