【清々しい品格(3)】技術革新への執念に燃え、品性を貫く男
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(株)冨士機 代表取締役会長
藤田 以和彦 氏根っからの技術開発者
藤田会長とは1975年6月からの付き合いであるから、かれこれ47年になる。当時、冨士機の工場は宇美町にあり、長年、新潟鉄工より岡山以西の生コン工場のプラント修理・メンテ工事を引き受けていた。その技術を蓄積して生コンプラントメーカーに変貌したのである。当時、工場には開発途中の部品などが山積みされていたことを鮮明に覚えている。開発に失敗した部品である。藤田会長は「成功に至る確率は100分の1しかない」と嘯いていた。こうした失敗の経験からヒット作が生まれるのである。
固化材開発が躍進のバネ
藤田会長は生コンプラントメーカーだけで満足する経営者ではなく、果敢なチャレンジを怠ることがなかった。藤田会長の一番の関心ごとは汚泥処理にあった(浚渫土含む)。「運搬工程を省略して現地で処理できないものか」と24時間思案していた。10年間、悪戦苦闘した結果、ある固化材の開発に辿り着いた。成功するまでには研究会を立ち上げ、東京大学教授などとの研究連携も図った。都市部でのインフラ整備には必ず残土=汚泥が発生する。この汚泥を現場で固めて再利用する工法の開発に至ったのである。
この現場は東京、大阪地区に集中している。たとえば地下鉄工事が好例である。2000年代、地下鉄の新設工事が集中していた。加えて都心部の高速道路も地下60mを貫通する工法を活用するようになった。「これは最大のチャンス、勝負をかける」と決断し、2005年に東京進出をはたした。羽田空港に隣接している大田区の京浜島工業団地の一角を買収したのである(この工業団地には全国の中小企業における最高峰クラスの技術を有する企業が集積していた)。
進出の成功で大躍進
2010年代に東京都心の首都高速道の地下汚泥処理工事の大半を受注実績として残した。阪神地区でも同様の実績を積んだ。企業としてはグループ年商80億円規模までに拡大した。10年の固化材開発によって施主から指名を受けるまでに企業力が認められるようになったことで、ようやく藤田会長の理念を具現化する段階まで到達するようになったのである。その理念とは「SDGs」への貢献だ。
この経営姿勢と実績が評価されてこのたび、「第49回経営者賞」(主催:経営者顕彰財団、共催:西日本シティ銀行)を受賞されたのである。おそらく生コン業界関連では初めての受賞になる。この業界に関連する経営者たちに「社会貢献」という意識は薄いのではないかと筆者は考える。冨士機の今回の受賞は、業界のレベルアップをもたらした。業界こぞって祝賀会を企画されることを提案したい。
2011年3月の東日本大震災で大奮闘
東日本大震災が発生したのは2011年3月11日であった。津波によって過去に類をみないほど陸地にヘドロが大量に積み上げられた。とくに田んぼに残されたヘドロ処理は難航するものと思われた。加えて津波が福島の原発を急襲、爆発した原発から「死の灰」が福島県北方向に飛散した。この集積された死の灰を被った汚染土壌の処理も前例がなく、関係者は途方に暮れたのである。
ここで重宝されたのが同社の中性固化材を利用した工法である。宮城県名取市(仙台空港がある都市)に大量の汚泥が押し寄せた。田畑が広範囲に汚染されたのだが、現場処理で実績を残した。また死の灰が積もった土壌もスムーズに処理したのである。この辺りから藤田会長の脳裏には「残されたビジネス人生はSDGsの貢献に徹しよう」という使命感が燃えあがってきたのである。
次世代型生コン工場建設の狙い
太宰府市にある150坪の敷地に生コン工場を建設した。従来の工場は800~1000坪の広さがあった。だから凡人は「150坪の狭い土地に工場が建てられるから不動産の有効活用をしよう」というセールストーク程度しか思いつかない。確かにこの工場システム受注のうたい文句には違いないが、藤田会長には別次元の構想があった。生コンを現場運搬して工場に帰ってくると、必ず未使用の生コンが車に残っている。従来は未使用の生コンを水で流す程度の後始末だった。「この未使用生コンを完全に処理する」ことが、この新工場の狙いであった。「業界関係者たちは、まだまだSDGsの意識が浸透するまで時間がかかる」と藤田会長は苦笑いする。
有明海の干潟復元へ
有明海の海底は泥化している。引き潮時期に干潟が拡大する。この干潟は泥化しヘドロの塊となっている。この泥化状態を同社の中性固化材を使用して固めれば弱アルカリの土壌に様変わりする。干潟にこの土壌を敷くだけで生物の活動が活発になってくる。そうすると干潟が速やかに豊かになってくるのを実感するそうだ。ただし、工事の担い手は各地区の漁業者、地元住民にさせる。技術指導は同社が引き受ける。そうなれば工事代も既存の3割程度で済む見通し。「地元関係者が主体となって環境改善を果たさないと意味がない」というのが同氏の持論である。
「駄法螺を吹いても現実の解決にならなければ意味がありません。私の存命中にはせめて有明海の干潟の土壌改良だけは達成したい。そうなれば地球環境改善の一役を担ったことになります」と力まずに語る藤田会長は本当に清々しい男であると再認識した次第である。
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