新造船が導入された宮崎カーフェリー(前)
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運輸評論家 堀内 重人
宮崎カーフェリーの概要と経営者の変遷
宮崎カーフェリーは、1971年に日本カーフェリーの子会社として設立され、同年6月に、神戸港(東神戸フェリーセンター)から日向細島港間の航路が開設された。翌72年には、親会社の日本カーフェリーに吸収され、しばらくは日本カーフェリーとして運航された。
2004年4月に日本カーフェリーの後身であるマリンエキスプレスより、大阪~宮崎と貝塚~日向細島~宮崎の航路事業が分社化され、2代目の(株)宮崎カーフェリーが設立。当時は、大阪港や貝塚港へ就航していた。
2代目の(株)宮崎カーフェリーは、マリンエキスプレスから転籍した従業員を引き継いだこともあり、当初から大幅な債務超過を余儀なくされていた。原油高を背景とする燃料費の高騰を受け、貝塚航路から撤退しただけでなく、安定して収入を確保するため、燃料油価格変動調整金(サーチャージ)を導入した。
債務超過に陥っていたことから、一部の債務免除を受けたほか、フェリーターミナルの使用料を下げるため、大阪南港発着から神戸港発着への変更を行うことでコスト削減を図り、収支の改善を図っていた。
だが09年には、当時の麻生内閣による高速道路料金の引き下げが実施されただけでなく、同年8月の総選挙で政権を取った民主党が、高速道路無料化を公約に掲げていたことから、一部の道路や区間で高速道路無料化の社会実験が実施された。開通していた区間のうち、築城IC~椎田IC、宇佐IC~日出JCT、大分IC~佐伯IC、延岡南IC~門川IC、西都IC~清武JCT、末吉財部IC~加治木IC間が、無料化社会実験の対象区間に指定された。
無料化の社会実験を実施するということは、通行量が少なく、無料化したとしても道路交通渋滞を激化させる心配が少ない道路や区間であるといえる。
無料化社会実験の実施期間中の10年3月14日に鹿児島県内の曽於弥五郎IC~末吉財部IC間が開通し、7月17日には宮崎県内の高鍋IC~西都IC間が開通した。12月4日には門川IC~日向IC間が開通したことで、東九州自動車道と延岡南道路が直結。宮崎県内の高鍋IC~西都IC間、門川IC~日向IC間も高速道路無料化の社会実験の対象となった。
高速道路無料化の社会実験が実施されていたときは、宮崎県の延岡から大分県の佐伯間は、高速道路が整備されていなかったが、大分IC~佐伯IC間だけでなく、宮崎県内の高速道路も、無料化の社会実験対象となり、貨物需要が大分港へ流出した。
鹿児島県内の区間も無料化されたが、貨物は宮崎へ来ることがなく、鹿児島県内にある志布志港を利用していたことから、収益改善の見通しが立たなくなった。また宮崎船舶から2隻のフェリーを賃貸していたが、建造から20年以上が経過しており、老朽化が進行していた。
だが、新船建造の資金調達が課題となり、多額の債務償還のメドも立たないことから、17年11月に(株)宮崎カーフェリーは特別清算を申請。金融機関などとともに地域経済活性化支援機構に支援を申し込んだ。そして宮崎県、地域経済活性化支援機構、宮崎銀行、宮崎太陽銀行が主要株主となった3代目の(株)宮崎カーフェリーに事業譲渡を行った。なお、2代目の(株)宮崎カーフェリーは、18年3月に商号を(株)福岡マゼランへ変更、同年8月15日に福岡地方裁判所から、特別清算開始決定を受けた。
(つづく)
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