2024年11月22日( 金 )

元電通・高橋氏が仕切った「五輪利権」に捜査のメス(後)

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 「濡れ手で粟」。大した苦労せずに楽にカネが儲かるという話をいう。金儲けをするのに、コスト(費用、資金、労苦、時間など)はできるだけかからないに越したことはない。その究極の理想がこの「濡れ手で粟」だ。東京五輪マネーに捜査のメスが入った。東京五輪は、仕切り屋にとって、まさに「濡れ手に粟」といえる一攫千金の大儲けをもたらした。

東京五輪の最大の闇は招致疑惑

    電通の東京五輪利権の最大の闇は、東京五輪の招致疑惑だ。

 フランス検察当局は、 世界陸連前会長でIOC委員だったミラン・ディアク氏(セネガル)父子の贈収賄疑惑を捜査する過程で、日本の東京五輪招致の不正をつかんだ。

 東京五輪招致委員会の理事長を務めた日本オリンピック委員会(JOC)前会長・竹田恒和氏は18年に仏当局の事情聴取を受けた。東京五輪開催の実現を確約するために2億5,000万円を支払ったという疑惑だ。竹田氏は、19年6月招致委理事長を辞任。トカゲのしっぽ切りならぬ、頭のすげ替えで幕引きを図ろうとした。

 だが、火種は燻り続けた。ロイター通信は20年3月31日、東京五輪・パラリンピック組織委員会理事で、広告代理店の電通元専務の高橋治之氏が、13年の招致成功までに820万ドル(約9億円)を東京五輪招致委員会から受け取っていたと報じた。高橋氏は国際オリンピック委員会(IOC)委員らにロビー活動を行っていた。

 高橋氏はロイターの取材に対し、ロビー活動の一環としてディアク氏に、デジタルカメラやセイコー社の腕時計を渡したことを認めた。しかし、「手ぶらでは行かない。それが常識だ」と述べ、IOCの規定に反しておらず、良好な関係を築くための贈り物だとした。

 フランスの裁判所は20年9月、ロシア陸連の組織的ドーピングに絡む収賄罪や資金洗浄罪で、世界陸連前会長のディアク氏に懲役4年の有罪判決を下した。

 東京地検が高橋元理事に受託収賄容疑で捜査に乗り出した背景には、誘致段階からの「五輪の闇」がある。

実弟は「長銀を潰した男」と呼ばれた高橋治則氏

 スポーツビジネス業界の”ドン”高橋治之氏とは何者か。

 筆者はNetIB-News(20年6月30日~7月2日)に『日本最大のフィクサー企業 電通の研究』を寄稿( / )。そのなかで「東京五輪招致を仕切った黒幕は電通の高橋治之元専務だ!」と指摘した。五輪の誘致不正のキーマンだ。

 高橋氏は、バブルの時代に「環太平洋のリゾート王」と呼ばれた(株)イ・アイ・イ インターナショナル総帥だった故・高橋治則氏(05年に死去)の実兄。イ・アイ・イに巨額の融資をした(株)日本長期信用銀行(現・(株)新生銀行)の経営が破綻したため、治則氏は「長銀を潰した男」の異名をとる。

 高橋治之氏は、1944年4月生まれ。高橋家は戦時中、父の義治氏の実家がある長崎県平戸市に疎開。商才があった義治氏は、戦前にいくつもの事業を手がけて成功を収めていた。戦後のモノ不足の時代には、輸入雑貨を売りさばいて財を成した。その後、日本教育テレビ(NET。現・テレビ朝日)の設立に関わり、取締役に就任している。

 東京に戻った一家は、目黒区の洗足駅近くに住んだ。裕福な家庭のお坊ちゃまがそうであるように、高橋兄弟は幼稚舎(一般の小学校にあたる)からの生粋の慶応ボーイ。兄弟とも父親譲りの商才があった。

 弟の治則氏は、父が社長を務める電子部品輸入商社のイ・アイ・イに参加。後に、この会社を中核として、資産1兆円の「環太平洋のリゾート王」と呼ばれた治則氏は、バブルの寵児だった。しかし、この事業はことごとく失敗。イ・アイ・イに巨額の資金をつぎ込んでいた日本長期信用銀行は破綻に追い込まれた。高橋治則氏は、「長銀を潰した男」として、バブルの歴史に名を残した。

高橋氏の最後の大仕事が東京五輪

 兄の高橋治之氏は67年、慶応大学法学部を卒業して電通に入社。スポーツ事業局を中心に歩み、ISL(インターナショナル・スポーツ&レジャー)事業の担当となったことで、世界のスポーツ界に人脈を築いていった。ISLはスポーツのビジネス化を担う会社で、82年にアディダス創業家のホルスト・ダスラーと電通が共同出資でスイスに設立した。

 高橋氏は9代社長の故・成田豊氏の側近として頭角を現した。81年に取締役になった成田氏は、海外スポーツにビジネスチャンスを見出した。

 転機は84年のロサンゼルス・オリンピック。世界的なスポーツイベントに商業主義が持ち込まれた大会として知られている。巨大スポーツ利権が発生していった時代に合わせ、成田氏はオリンピックだけでなくサッカー・ワールドカップ、F1などにも放映権の卸売とスポンサー集めによる巨大なスポーツビジネスを確立した。その実績が評価され、成田氏は93年に電通の社長に就任。「電通の天皇」と呼ばれるほどの権勢を誇った。

 成田氏のもとで、30代のころから、世界のスポーツ機関とわたりあい、数千億円規模ともいわれる放映権料の取引の最前線に立ってきた人物が、高橋治之氏である。電通のスポーツ利権を牛耳り、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世階段を駆け上がり、専務取締役にまで上り詰めた。2009年に電通を退社して顧問になっても、海外がらみのスポーツ利権には必ず名前が出てくる。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の理事に名を連ねた。

 東京五輪招致から深く関わってきた高橋氏にとって、東京五輪は最後の大仕事だ。東京五輪は高橋氏のスポーツビジネス人生の最高の勲章となるはずだったが、あまりに欲が深すぎた。「濡れ手に粟」の荒稼ぎがたたり、栄光の座から奈落に滑り落ちることになったのだ。

(了)

【森村 和男】

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