2024年11月21日( 木 )

トヨタがミサワホームを子会社化 豊田一族の「一人一業」がやっと成就(後)

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産業再生支援機構を迂回してミサワホームを手に入れる

 ミサワホームの買収作戦の総指揮官は日本経団連会長でトヨタ自動車会長の奥田碩氏が執った。2003年4月、トヨタ自動車の住宅事業部から分離し、トヨタホーム(株)を設立。早速、ミサワホームのM&Aに動く。03年10月、奥田氏は日本経団連会館に三澤千代治氏を呼び出し、トヨタ自動車によるミサワホームの買収を申し入れた。三澤氏はこれを断り、奥田会長と喧嘩別れした。ここから、奥田氏と三澤氏の抗争が火蓋を切って落とされた。

 トヨタからの買収を阻止するため三澤氏は04年、海外ファンド数社から出資を募りミサワファンドを設立し、持ち株会社ミサワホールディングス(株)の株式公開買い付け、(株)三菱東京UFJ銀行の債権1,200億円分の購入、三菱東京UFJ銀行とシテイグループの保有する優先株1,350億円分の購入する計画を提唱した。だが三菱東京UFJ銀行が拒否してファンド設立構想は潰れた。

office3 この間、奥田氏はミサワホームを手に入れるため迂回作戦をとった。産業再生機構を活用することだ。経団連会長の奥田氏は小泉純一郎内閣時代に、経済政策の指令塔である経済財政諮問会議の民間議員を務めた。メンバーに竹中平蔵金融相兼経済財政担当相がいる。竹中金融相は02年10月、大手行に対して不良債権残高の半減を求める「金融再生プログラム」を発表。銀行が抱える不良債権を買い取るべく03年4月、(株)産業再生機構を設立。

 同年同月、奥田氏はトヨタホームを設立した。偶然の一致ということはあり得ない。産業再生機構を活用して、ミサワホームを買収する意図が読み取れる。奥田氏は「ミサワホームの再建は産業再生機構に入ってからだ」と再三にわたり発言した。三澤氏側のミサワファンド構想がUFJ銀行の反対で潰れたことを受け、04年12月、産業再生機構がミサワホームの支援を決定した。

 トヨタは05年、ミサワホームに資本参加。野村プリンシパル・ファイナンス(株)、あいおい損害保険とともに第三者割当増資を引き受け、13.4%出資した。06年3月、トヨタ(=トヨタホーム)が再生スポンサーに内定し、産業再生機構が保有する債権を一括返済した。
 ミサワホームの経営危機を巡る奥田氏の発言が、ミサワホームを産業再生機構入りに追い込んだとして、三澤千代治氏は竹中平蔵経済財政担当相、斎藤淳産業再生機構社長と共に、公務員職権乱用罪で告発した。トヨタの傘下に入ったミサワホームでは08年、竹中平蔵氏の実兄、竹中宣雄氏が社長に昇格。竹中平蔵氏に対する謝礼と囁かれた。

 このようにミサワホームの買収は、とても誇れるような“横綱相撲”ではなかった。創業家の「一人一業」を成就するため、なりふりかまわなかった様子がうかがわれる。奥田碩氏と竹中平蔵氏が示し合わせたデキレースではなかったのか。「いやな感じ」がした理由だ。トヨタはさすがに気が引けたのだろう。10年かけてそろりと子会社に組み入れた。
 章一郎氏の長男で、豊田家の4代目、豊田章男社長の「一人一業」は、人工知能(AI)技術の研究・開発だ。後々、後ろ指を指されないように堂々とチャレンジして欲しいものだ。

(了)

 
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