2024年07月04日( 木 )

シーガイアの現状(前)

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運輸評論家 堀内 重人

シーガイアが整備された背景

 「シーガイア」は完成した当初、「宮崎シーガイア」と呼ばれており、宮崎県を「観光」を通して復興させることが建設の目的であった。かつての宮崎県は、新婚旅行のメッカであり、青島をはじめとする日南海岸には、多くの新婚夫婦が訪れた。しかし、1980年代に入ると、新婚旅行で海外に行く人が増え、宮崎県の新婚旅行ブームは終焉を迎えた。

 87年にリゾート法が成立したこともあり、宮崎県は「宮崎・日南海岸リゾート構想」を打ち出し、宮崎県を通過点ではなく、滞在地にしようとした。そして会津地方や伊勢志摩地方と同様、88年にリゾート法の第1号指定を受けた。そこで中核施設として「宮崎シーガイア」が建設されることになった。

 「宮崎シーガイア」の建設は、官民一体の巨大プロジェクトであった。構想は、紙の総合商社である旭洋とフェニックス観光、宮崎交通などの民間企業と宮崎県や宮崎市が加わった。そして宮崎県と宮崎市は、これを運営する「フェニックスリゾート」という第三セクターを設立した。

 建設地には、亜熱帯の雰囲気がある宮崎市一ツ葉地区が選ばれた。この土地は、宮崎市が所有しており、土地の取得がしやすかったことも選ばれた要因である。防風林として植樹されていた海岸部の松林を伐採するかたちで、計画よりも1年8カ月遅れの91年3月に建設に着手。そして1年後の92年3月には、地上43階・地下2階からなるホテルオーシャン45(写真1)、国際会議センター「サミット」などの二期工事も着工したが、このときは完全にバブル経済が崩壊していた時期であり、近鉄は志摩スペイン村の当初の計画を縮小するなど、見直しを行っている。

写真1:ホテルオーシャン45
写真1:ホテルオーシャン45

目玉施設「オーシャンドーム」

 「宮崎シーガイア」の目玉は、世界最大級の室内プール「オーシャンドーム」であった。そしてゴルフコースや高層のホテルオーシャン45などを、建設することにした。

 オーシャンドームは、開閉式の屋根を持つ全天候型のプールであり、奥行き300m、幅100mで、高さは38mもある巨大なドーム状になっており、中国の大理石を砕いてつくった長さ140mの人工ビーチや造波プールをもつ、世界最大級の室内プールであった。またシーガイアリゾートのランドマーク的な存在であり、93年7月30日に先行オープンした。

 南国の海岸を持つ宮崎県に、全天候型の巨大なプールを設けた理由は、シーガイア付近の海岸は浅瀬が少なく、通年で波も荒いうえ、「だし」と呼ばれる強烈な引き潮に呑み込まれて死者も出ていたからである。宮崎県民からすれば、子どもが安心して泳ぐことが可能な安全な海水浴場の誕生は悲願であった。

 宮崎県は、波が高いこともあり、海水浴は盛んではないが、千葉県の九十九里浜と同様、サーフィンに適している。オーシャンドームが完成したことで、浜辺に海水浴客もいないことから、日本でも有数のサーフィンのスポットになっている。

 だが巨大な設備とは裏腹に、入場客数は予想を大きく下回った。初年度の入場者の目標は、250万人に設定したが、初年度から目標の半分にも達しなかった。

 原因は、高過ぎる料金であった。93年の開業当初の利用料金は、大人が4,200円、中高生が3,100円、4歳~小学生までの子どもが2,000円であった。この価格は、当時の東京ディズニーランドの入場料よりも高かった。「オーシャンドーム」の年間入場者数は95年が最多で、約124万人であった。

その他の設備

 ゴルフコースや高層のホテルオーシャン45、国際コンベンションセンター、アミューズメント施設なども完成し、94年10月に全面開業した。

 国際コンベンションセンターは、サミットなどで最大5,000人が収容可能な2,600m2のサミットホールをはじめ、大小の会議場を備えたコンベンションセンターであり、現在の「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」に隣接している。

 国際会議や学会、コンサートなどに利用され、2000年7月にはサミット外相会合も開かれるなど、華やかな一面もあったが、宮崎県は「大都市から遠く離れた観光地」というイメージもある。それゆえ、巨大なサミットホールの機能を最大限に発揮するイベントの誘致は、難しいといえる。

 一方、結婚式と披露宴であれば、地元から一定数の利用がある。建物の内部には、神道式の結婚式場だけでなく、キリスト教にも対応してチャペルが置かれている。チャペルは、シェラトンホテルの南側だけでなく、現在の「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」の43階にも、天空のチャペルが設けられている。チャペル部分は、かつては有料の展望フロアであり、宮崎市内や太平洋を一望することが可能であった。

「宮崎シーガイアの経営破綻」

 「宮崎シーガイア」は、バブル期の計画を見直さずに着工したこともあり、総事業費2,000億円を要したが、利用客数が低迷したため、毎年200億円前後の赤字が発生していた。01年2月に、「宮崎シーガイア」を運営していた「フェニックスリゾート」が、第三セクター史上最大の負債額3,261億円を出し、会社更生法の適用を申請して倒産した。そして巨額な借入金の債務保証会社であった紙の総合商社の旭洋と、不動産管理とガソリンスタンドの経営を行っていた旭洋勧業も、「宮崎シーガイア」の破綻にともない、連鎖倒産した。

 新たな支援企業を探したが、接触してきたのは外資が中心であった。そして同年6月に、アメリカの投資会社リップルウッド・ホールディングスが、162億円で買収することで合意。そして「宮崎シーガイア」のオーシャンドームは、リップルウッドに買収されたこともあり、料金の値下げが行われた。

 このときに大人が2,500円、中高生が2,000円、子どもが1,400円となり、別途、宮崎県民割引や、見学だけの料金の設定を行った。宮崎県民の料金は、大人が2,000円、中高生が1,500円、子どもが1,000円となった。そして見学だけの場合は、大人が400円、中高生が300円、子どもが200円であり、宮崎県外者は各200円増しというように、健康ランドと遜色のない水準にまで料金が引き下げられた。
 もう1つの目玉であったホテルオーシャン45は、02年に当時のスターウッド・ホテル&リゾートの傘下に入り、「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」に改称された。

(つづく)

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