世界の民主主義の危機と多国間主義(3)
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Devnet International 創始者
ジャーナリスト ロベルト・サビオ 氏Net I・B-Newsでは、世界の有識者約14,000名に英語等10言語でニュースを配信する「OTHER NEWS」(本部:イタリア)に掲載されたDEVNET INTERNATIONALのニュースを紹介している。今回はDEVNETの創始者でガリ元国連事務総長の秘書室長を務めたロベルト・サビオ氏から寄稿していただいた記事を掲載する。
DEVNETはECOSOC(国連経済社会理事会)認証カテゴリー1に位置付けられている一般社団法人である。
同じ運命がマルティラテラリズムを見舞っている。この運動は民主主義をつうじて国際関係をさまざまな形で組織化するための方法であった。平和と協力と国際法の尊重、正義と連帯という価値観に基づき、開発をパラダイムとして捉える運動であるから、新自由主義的なグローバリゼーションとは全く異なる。これが国連をはじめ、欧州連合(ワシントン・コンセンサスの影響を強く受けているとはいえ)から国際赤十字に至るまで、国際機関の創設の基礎となったのである。
1973年、国連総会は新国際経済秩序(NIEO)と呼ばれるグローバル・ガバナンス計画を全会一致で採択した(世界のすべての国々が受け入れた唯一の計画)。このなかで、豊かな国々は協力と正義の精神に基づく総合的な計画をたてて、世界の南北格差を縮小することに取り組むことになった。最終的にまったく異なる計画を打ち出すことになる富裕国の利害とは明らかに対照的な計画である。
富裕国の主要な戦略的ビジョンはワシントンから発せられた文書、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」のなかにある。それはグローバル・ガバナンスの場としての国連の役割を縮小させようとする長年の努力の結果生み出されたものである。
ワシントン・コンセンサスのきっかけとなったのは、1981年、ロナルド・レーガン大統領の当選からわずか半年後に開催された「南北対話」首脳会議に彼が出席したことである。このサミットは、1979年の総会で南北格差の是正の進捗状況を把握し、最新の政治的関与を行うために招集されたものである。メキシコのカンクンで開催され、当時最も重要な国家の元首たちが出席した。その席上、レーガンは「アメリカは、これ以上国際民主主義の窮屈な立場に置かれることは受け入れられない」と宣言したのである。
アメリカは他の国と同じように1票をもつことを受け入れることはできない、50カ国が一緒になったようなものだから、国連の票には縛られないという立場なのである。それに、アメリカの富は貿易と投資によってもたらされたものであり、総会で決まった計画によってもたらされたものではないから、「援助ではなく、貿易を」と有名なスローガンを打ち出したのである。これで、連帯や社会正義は一切排除された。
これに加え、英国のサッチャー首相はレーガンと大西洋同盟を結び、その8年後、金融界が推し進めた新自由主義的グローバリゼーションを実現するための基盤を整えた。第二次世界大戦が終わるころ、勝者たちが金融を社会・政治的な問題から切り離すことを決定したことを忘れてはならない。具体的には、1944年7月のブレトン・ウッズ会議で世界の金融が基本的に中央銀行によって議決されることになり、国際通貨基金・世界銀行などの金融機関が1945年4月に設立されたのである。これらは当時の国連から生み出されたものであり、したがって戦勝国の決議によるものだった。
そのことから、ブレトン・ウッズで生まれた多国間主義は民主的な多国間主義ではなかったことが明らかである。ブレトン・ウッズから生まれた多国間主義は民主的な多国間主義ではなく、強い国(当時はとくに米国)が機関内の諸国に異なる比重を与えたものなのである。今日、アフリカ諸国のIMFでの投票数を全部合わせても米国のより少なく、米国が世界銀行総裁の任命権をもっていることは極めて深刻な事実である。とはいえ、IMFが各国の議論し行動しつづける場であることに変わりはない。
これまで国連はいくつかの取り組みをしてはいるが、その弱体化は明白である。1995年1月(ベルリンの壁崩壊から5年後)に政府間レベルで世界貿易機関が設立され、国連から貿易に関する議決権が取り上げられることになった。UNCTAD(開発と関連した貿易を専門とする国連機関)は第三世界との結びつきが強すぎ、貿易の社会的影響に敏感すぎると考えられたのだ。これに対してWTOは民間部門をより多く代表し、市場と収益をそのシステムの中心に据えている。WTOが国連の一部でないことは知っておきたい。
新自由主義的なグローバリゼーションは金融と貿易という2つの動力源を持つ。国連には金融も貿易もなくなってしまっているのである。国連にあるのは子ども、文化、教育、健康といったいわゆる非生産的な問題や、郵便・民間航空・原子力産業の管理といった仕事、農業・環境・気候変動といった開発の仕事が残されているだけである。
このような国連弱体化は各国政府レベルで起こしたもので、基本的には豊かな国々によるものであった。1973年に先進6カ国が集まってG6が発足し、1977年にはカナダを加えたG7が、1988年にはゴルバチョフ政権下でロシアを加えたG8となった。そして、1999年、中国を含む南半球の最重要国が参加するG20が誕生したのである。その結果、国連事務総長は演説に招かれるだけで、重要な問題は国連の外で決定されるようになった。
民間企業による新たな動きも見ておきたい。民間企業は自分たちの利益に基づいて会議を開き、意思決定を行うためのプラットフォームをいくつかつくった(ビルダーバーグ、三極、ダボス会議など)。そのなかでも、ダボス会議が最も成功している。参加を希望する企業は参加費を払って会員になり、政治家や著名人を招いて意見交換やビジネス交流を行う。その結果、ダボス会議は国連総会よりも重要視されるようになった。
このような状況において、世界各国の市民が政府間システムのなかで意見を聞いてもらうという望みを捨ててしまったとして不思議はない。その結果として、人権・環境・飢餓・社会的不公平などに関心のある市民が結束して、多くのグローバルな市民社会組織をつくっている。国連には市民社会のための小さな窓口があり、それはECOSOCのなかで特別な地位を占めてきたと言わざるを得ないが、現在ではすべての機関やプログラムが、その活動分野に関心を持つ市民社会のために何らかの窓口を設けているのであるから、世界の市民社会は複雑な調整期に入ったと見てよいだろう。
(つづく)
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