2024年09月01日( 日 )

NHK会長人事が大逆転 岸田首相に主導権(後)

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 ジャーナリスト・森功氏の最新作『国商、最後のフィクサー葛西敬之』(講談社刊、定価1,980円)が話題だ。「安倍晋三射殺で一気に噴出した日本政財界の闇―その中心にいたのは、この男(葛西敬之)だった」というサブタイトルがつく。
 葛西敬之・JR東海名誉会長は22年5月25日、間質性肺炎で亡くなった。81歳。
 安倍晋三・元総理は22年7月8日、選挙応援中の奈良で射殺された。享年67歳。
 葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権で重視したのが「NHK支配」だった。だが、葛西氏と安倍氏が共に亡くなり、菅氏も政権の座から滑り落ちた。権力構造の転換により、NHK(日本放送協会)の会長人事の大逆転が起きた。

与謝野馨氏を総理大臣に

NHK イメージ    NHKは安倍総理の“お友だち”財界人「四季の会」のメンバーに支配されていた。葛西氏は安倍氏と保守、右翼思想で通じる。葛西氏の政治とのかかわりを語る上でかかせないのが、安倍氏と財界応援団として知られる財界サロン「四季の会」だ。森功著『国商、最後のフィクサー葛西敬之』をベースに活動をたどってみよう。

 もとはといえば、政界に対する葛西氏の悲願は東大時代の同級生である与謝野馨氏を総理大臣にすることだったとされる。「四季の会」はそのための集まりだった。いうまでもなく、与謝野氏は歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫にあたる。

 JR東海社長・葛西氏は2000年、財界の与謝野馨応援団を結成すべく、富士フイルムホールディングスの古森重隆氏とともに「四季の会」を立ち上げた。古森氏もまた東大の同期生である。

 だが、与謝野氏は総理になれなかった。与謝野氏は「四季の会」の集まりに、若手政治家を連れてきた。その名を安倍晋三という。安倍氏は小泉純一郎政権で破格の大出世を遂げる。「四季の会」は安倍応援団に衣替えしたのである。

NHK会長人事を仕切る「四季の会」

 「四季の会」はNHK会長人事と浅からぬ関係にある。その源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代に遡る。NHKの報道に不満をもつこのメンバーが重用され、NHKの会長を決める経営委員長には安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が選ばれた。

 安倍政権はわずか1年と短命で終わったが、「四季の会」がNHK会長人事を仕切ることになる。古森経営委員長はアサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄・相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も四季の会のメンバーだ。

 09年に民主党政権が誕生しても「四季の会」の勢いはとまらない。古森氏の盟友であるJR東海会長・葛西氏が、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地会長の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に送り込んだ。自分の部下をNHK会長に押し込む荒業は周囲を呆れさせた。

「四季の会」の黄昏

 この間、「四季の会」は素浪人となった安倍晋三氏を支援してきた。総理大臣に復帰させるためである。

 大願成就。12年12月、第2次安倍政権が発足した。NHK会長人事は、葛西敬之氏ら「四季の会」の天下だ。

 松本氏の後任は、籾井勝人氏(元三井物産副社長、14年1月~17年1月)、上田良一氏(元米国三菱商事社長、17年1月~20年1月)と2代続けて商社出身者が就いた。

 20年1月、元みずほフィナンシャルグループ会長・前田晃伸氏がNHK会長に就任した。任命されたときの記者会見で、記者に問われて、自分が安倍晋三首相を囲む経済人の集まりである「四季の会」のメンバーであると認めた。普通は自ら公表することはない。NHK会長への政界からの風当たりは強い。それを防ぐ狙いが透けてみえる。「四季の会」は「水戸黄門の印籠」といったところか。

 実際、昨年7月の段階で、前田氏は続投に意欲的だったと報じられている。それが、一転、断念した。その間、何があったかをみれば分かる。「四季の会」を主宰する葛西敬之は病没し、安倍晋三元総理は凶弾に倒れた。「四季の会」は存続理由を喪失した。

 「一葉落ちて天下の秋を知る」。「四季の会」の黄昏であった。

(了)

【森村 和男】

(前)

法人名

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