2024年12月22日( 日 )

露ウ戦争の第二局面(3)

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 日本ビジネスインテリジェンス協会理事長・中川十郎氏から東京大学法学部教授・松里公孝氏の「露ウ戦争の第二局面―ロシア軍事政治指導部内におけるウクライナ全土派とドンバス集中派の対立」が寄稿されたので以下に紹介する。

全土作戦への未練が絶てないロシア指導部

兵士 イメージ    米国の軍事専門家であるマイケル・コフマンは、ロシア軍が兵力をドンバスに集中すると決めた後も、まさにそのドンバス戦線で目立った戦況の好転がないことを次のように論評した。(1)開戦後40日間でロシアが失った兵力を配置転換や部隊再編で補うのは無理である。(2)露軍が緒戦の損失を抜本的に補てんしようとすれば、総動員令を出し、職業軍人だけでなく徴兵された兵も戦争に投入するなどの方針転換が必要である。しかし、そうすれば「これは戦争ではなく、特別作戦である」という正当化が通用しなくなるので、プーチン政権への相当の打撃を覚悟しない限り、それはできない。(3)この戦争の期間中にドンバス以外の地域での華々しい戦果は期待できない※4。(1)と(2)は、この見解の発表から2週間たった現在(4月25日)では、悲観的に過ぎるように見える。しかし(3)は正鵠を射ている。

※4 Ryan Evans and Michael Kofman, “Russia Downscales Its War, but not in Brutality,” War on the Rocks, 2022.04.11 (https://warontherocks.com/2022/04/russia-downscales-its-war-but-not-in-brutality/). 

 にもかかわらず、ロシア軍は、ドンバスの外、とくにウクライナ南西部で中途半端な行動を続けている。たとえば、ザポリッジャ州東端のロズィフカ郡(郡庁所在地は、直線距離でマリウポリ、ヴォルノヴァハ双方から40kmくらいである)においては、住民「代表」の集会が自郡のドネツク人民共和国への編入を決議した※5。

※5 Район Запорожской области решил присоединиться к ДНР // Российская газета. 2022.04.19 (https://rg.ru/2022/04/19/rajon-zaporozhskoj-oblasti-reshil-prisoedinitsia-k-dnr.html).  

 ドネツク人民共和国憲法は、自国の(将来の)領土を旧ドネツク州と定めているので、ロズィフカ郡の決議は、人民共和国の論理からいっても行き過ぎである。しかし、このような決議がロシアや人民共和国の指導部との事前協議なしに採択されるはずがない。

 旧ソ連圏には、彼らなりのuti possidetis jurisの理解があり、分離政体が旧自治領域を回復した時点で戦争は終わる。たとえば、1993年9月にスフムが陥落した時点でグルジア軍は解体し、アブハジア軍はイングル川を越えてメグレリア(グルジア西部)を占領しようと思えばできたが、しなかった。旧アブハジア自治共和国の領域を回復した時点で止まったのである。ポスト・ソ連史における、上記ルールの唯一の例外は、カラバフによるアゼルバイジャン内地の占領であったが、これはカラバフ武装勢力がアルメニア指導部の反対を押し切って強行したものだった。アゼルバイジャンの内地占領は、カラバフにとって安全保障上の意味はあったものの、外交面では重荷になった。

 ドネツク人民共和国が旧行政境界線を越えて支配領域を拡大するとすれば、かつてのカラバフ武装勢力と同じ危険水域に入ることになる。またロズィフカの名士層のなかに人民共和国シンパがいたから編入決議が採択されたのだろうが、将来、旧ドネツク州・ルガンスク州境を軍事境界線としてウクライナとの停戦協定が結ばれた場合、この名士層はウクライナ側に取り残されて国事犯となる。どうやって彼らを保護するのか。人民共和国やロシアに逃亡させればよいとでも思っているのか。

 ヘルソン市は、3月2日という早い時点でロシア軍の占領下に入った。州知事はじめ州行政府、特務機関(SBU)、警察などは、ロシア軍が入ってくる前に逃亡してしまったので、ロシアの野党系メディアの表現を借りれば、ヘルソン市長のイホリ・コルィハエフが事実上の州知事になった※6。コルィハエフ市長は、2020年の市長選に、自分がつくった「ここで生きる」党から立候補して当選した。この党はゼレンシキーの分権改革の結果としてウクライナに叢生した「市長党」の一例であり、ゼレンシキーの公僕党と近い関係にある。

※6 Херсон. Репортаж спецкора «Новой газеты» Елены Костюченко // Медуза. 2022.03.30 (https://meduza.io/feature/2022/03/30/herson-reportazh-spetskora-novoy-gazety-eleny-kostyuchenko).  
 しかし、なぜヘルソン州であって東隣のミコライフ州ではなかったのか。軍事的には、両州間で占領のコストがそう違ったとは思えない。政治的には、ヘルソン州は都市化が遅れた州であり、その分、ウクライナ語話者が多く、東部・南部のなかでは例外的に愛国的な州である※7。そのことは、占領後のヘルソン市民の激しい抵抗運動にも示されている。

※7鳥飼将雅「すべてのウクライナ人はオレンジだったのか?2004 年ウクライナ大統領選における政治マシーンと東西亀裂」『スラヴ研究』No. 65(2018)。

 なぜこのような州をロシアがわざわざ占領したかといえば、おそらくクリミアの安全保障上の緩衝地帯になるからであろう。2015年にウクライナの活動家が高圧電線を爆破して、クリミアを数日間停電に追い込んだのも、ヘルソン州においてであった。経済的にも、ウクライナ時代、クリミアとヘルソン州は唇歯輔車の関係にあった。ロシアによるクリミア併合後もしばらくの間は、クリミアの観光業はヘルソン農業の優良顧客であった。また降雨量が足りないクリミアには、ヘルソン州からの水供給が必要である。

(つづく)

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