2024年11月23日( 土 )

今こそ食料安全保障を 食料危機が迫るなか、どう対応すべきか(中)

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東京大学大学院農学生命科学研究科教授
元農林水産省
鈴木 宣弘 氏

 「食糧危機」が迫るなか、肥料高騰や農業政策により、日本の農業が消滅の危機に瀕している。食料自給率が低い日本が国際情勢に左右されず豊かな国としてよみがえるためには、どのような「食の安全保障」政策が必要なのか。三重県志摩市の半農半漁の家に生まれ、元農林水産省官僚として内情に精通した視点から、この危機の本質に切り込む。

世界はすでに食料危機に突入(つづき)

 これで頭を抱えた矢先に、今度はウクライナ紛争で、カリウムの多くを依存しているロシアとベラルーシが、「敵国」日本には輸出してくれない、という事態になってしまった。これによって肥料原料の輸入量が半減し、価格は2倍に跳ね上がる事態となっている。高くて買えないどころか、すでに原料がそろわないから製造中止に追い込まれた配合肥料も出てきて、国内農家への今後の肥料供給の見通しが立たなくなってきている。

 最近顕著になってきたのは、中国などの新興国の食料需要が、想定以上の伸びを示していることだ。たとえば、中国はすでに大豆を約1億t輸入しているが、日本は大豆消費量の94%を輸入しているとはいえ、輸入量は中国の「端数」の約330万tに過ぎない。

 中国がもう少し買うといえば、輸出国は日本に大豆を売ってくれなくなるかもしれない。今や、中国などのほうが高い価格で大量に買う力があり、コンテナ船も相対的に取扱量の少ない日本経由を敬遠しつつある。そもそも大型コンテナ船は中国の港に寄港できても日本の港には寄港できず、中国で積み直してから日本に向かうことになるし、円安などの要因と相俟って日本に運んでもらうための海上運賃が高騰している。

 一方、「異常」気象が「通常」気象になることで世界的に農産物の供給が不安定さを増しており、需給ひっ迫要因が高まって価格が上がりやすくなっている。原油高がその代替品となる穀物のバイオ燃料需要(トウモロコシのエタノール、大豆のディーゼル)も押し上げ、暴騰を増幅する。

 今突き付けられた現実は、食料、種、肥料、飼料などを海外に過度に依存していては国民の命を守れないということである。それなのに、貿易自由化を進めて調達先を増やすのが「経済安全保障」かのような議論がまだ行われている。国内農業が縮小し、有事に耐えられない事態を招いたのに、さらに貿易自由化が必要だというのは論理破綻である。

 根幹となる長期的・総合的視点が欠落している。国内の食料生産を維持するために自給率を高めるのは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態の計りしれないコストを考慮すれば、長期的コストは、はるかに低い。それこそが安全保障である。命のコストを勘案しない自由貿易論の間違いは明白になった。

 しかも、輸入小麦が値上がりすれば食パン価格は上がるのに、肥料、飼料、燃料などの生産資材コストが急騰しても、農家の国産農産物の販売価格は低迷したまま、農家の赤字が膨らみ、多くの農家が倒産しかねない。国民も輸入途絶したら食べるものがなくなる。農家の苦境を放置していたら国民の命も守れないことに気づかねばならない。

日本の自給率はもっと低い

熊本県水俣市の棚田
熊本県水俣市の棚田

 日本の食料自給率は38%で、先進国最低水準だが、本当はもっと低い。飼料以外の生産資材の自給率が考慮されていないからだ。畜産の飼料については、たとえば、鶏卵の自給率は97%と日本の農家はよく頑張ってくれているが、その主なエサのトウモロコシの自給率はゼロである。エサが止まれば、実際の自給率は12%まで下がってしまう。

 新たに判明した問題は、まず、種である。コロナ・ショックで判明した。野菜の自給率は80%とされていたが、その種は90%が海外の畑で種採りをしてもらっている。コロナ・ショックで物流が止まり、種の入手に不安が広がった。本当に止まってしまったら、野菜の自給率は80%でなく8%ということになってしまう。

 コメについても種の自給率を考慮して筆者が試算したところ、公共種苗を民間譲渡していく制度改定によってコメの種の自給率も野菜と同じ10%まで低下するという最悪の事態が発生した場合、野菜の8%のみならず、コメの実質自給率も10%になるという試算結果が出た。

 ただし、この試算には化学肥料原料がほぼ100%海外依存であることは考慮されていない。化学肥料がないと慣行栽培なら収量はほぼ半減する。つまり、化学肥料原料も考慮すると、コメや野菜の実質自給率はわずか数%という数字が出てくるのだ。

 「食料を自給できない人たちは奴隷である」とホセ・マルティ(キューバの著作家、革命家。1853-1895年)は述べ、高村光太郎は、「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」と言った。生産資材も考慮すると、実質10%あるかないかの食料自給率である日本。不測の事態に国民を守れない国は独立国とはいえない。

(つづく)


<プロフィール>
鈴木 宣弘
(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授/元農林水産省 鈴木宣弘 氏東京大学大学院農学生命科学研究科教授、専門は農業経済学。1958年生まれ。東大農学部卒業後、農林水産省に入省。2006年から現職。三重県志摩市の半農半漁の家の1人息子として生まれ、田植え、稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、うなぎのシラス獲りなどを手伝い育つ。安全な食料を生産し、流通し、消費する人たちが支え合い、子や孫の健康で豊かな未来を守ることを目指している。主な著書に、『世界で最初に飢えるのは日本―食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書)、『農業消滅―農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社新書)、『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』(文春新書)など。

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