2024年11月24日( 日 )

「パッチワーク史観」で奏功した安倍談話(前)

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 「パッチワーク史観」。安倍首相が8月14日に発表した「戦後70年談話」は、こうネーミングしたらいいのではないだろうか。首相が談話発表時の会見でも述べたように、今回の談話は、首相の個人的な歴史観を述べたというより、できるだけ多くの国民の共感を得られる歴史観を、戦後70年目を機会にまとめて発表したという色彩が強い。いろいろな「史観」をつなぎ合わせて、1つの談話にした。そういう意味での「パッチワーク史観」だ。

パク・クネ大統領「不満ながら一定評価」

sora 安倍首相が発表した「戦後70年談話」に対し、従来の「村山談話」的な歴史観を持つ人々は「大きく後退した」と強い不満を表明した。「こんな内容の談話なら出す必要がなかった」と酷評した朝日新聞の社説が典型だ。

 一方、「右」の史観の代表選手である産経新聞の「主張」は、安倍談話を評価する論調である。当然のことだろう。欧米植民地主義批判の文脈のなかで日露戦争を高く評価したりするフレーズなどが、しっかり挿入してある。
 何とかの1つ覚え(失礼!)のように言われた「侵略」「植民地」「反省」「お詫び」のキーワードが、首相ならではの文脈のなかで巧妙に盛り込まれた。そして、総論的に、従来の首相談話を踏み固める決意を披瀝した。これで「パッチワーク」はそれなりのかたちをなした。
 外交孤立を懸念する韓国のパク・クネ大統領が、このパッチワーク表現を「不満ながら一定評価」する演説を行ったのは、首相談話の「外交的戦略」が功を奏しつつあると言えるかもしれない。

 米国の日本研究者の誰かが「ずるい談話だ」と批判したようだ。言い得て妙だと思う。
 国際的な論争のなかで、「ずるい」は決して悪い言葉ではない。先進国の戦略には、この「ずるさ」が内包されて来た。例のワイツゼッカー演説にも、このずるさがある。一度、全文を読んでみると、安倍談話に似た表現に気付く。しかし、安倍談話よりも遥かに美文である。このあたりが、2度も世界大戦に負けたドイツの強かなところだ。

一定の評価と批判を受ける「パッチワーク史観」

 植民地を持っていた西欧国家に先駆けて、日本は1980年代から植民地支配を謝罪し始めた。もちろん、意義があることだと思う。しかし、韓国が植民地時代を「強制占領時代」と歪曲し、対日攻勢をかけるようになった今、一定の歯止めを日本側は準備しておく必要がある。「植民地支配はよくなかったが、当時としては合法だった」。村山氏は首相時代、こう述べて韓国から総スカンを食った。安倍談話は「植民地支配からの決別」という表現で、この問題に関する日本側の立場を改めて明確にした。

 ことほど左様に、「パッチワーク史観」だから、統一性はないながらも多くの歴史観を含んでいるため、日本国内、諸外国でも多様に受け取られて、一定の評価と批判を受けることになった。談話では多様な国家名に言及した。「地球儀外交」「戦略外交」を標榜する安倍政権らしいと思う。インドネシアを中軸とする東南アジアの諸国から、安倍談話が評価されているのは何よりだ。21世紀は彼らが、世界外交の主要プレイヤーになる時代だからだ。

 安倍首相がもともとは、「安倍談話」よりも「右の史観」だったのは間違いない。しかし、「戦後21世紀談話」懇談会での講話や討議、報告書をうまく取り入れて、多くの歴史観とのバランスを図っている。政治家に必須な資質である「均衡感覚」がある証拠だろう。
 「今日の日本および日本人にとって、いちばん大切なものは、『平衡感覚』によって復元力を身につけることではないか」。半藤一利著「日本のいちばん長い日」(文春文庫)の「序文」における大宅壮一の台詞である。

 「右」からスタートした安倍首相だが、1期目のつまずき(慰安婦)、さらに2期目のオウンゴール(靖国参拝)を機に、平衡感覚を身につけ、民主党政権時代の「左」への傾斜・横転の危機を修復して、「歴史認識」を安定軌道に復元しようとした。「安倍訪中」の可否が、「安倍談話」を評価する試金石になってきた。

(つづく)
【下川 正晴】

<プロフィール>
shimokawa下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授を歴任。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授(マスメディア論、現代韓国論)。
メールアドレス:simokawa@cba.att.ne.jp

 
(後)

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