知っておきたい哲学の常識(11)─日本篇(1)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
日本に哲学なし?
明治の先覚者・中江兆民には福沢諭吉ほど影響力はなかった。福沢が科学時代の先陣を切ったのに対し、兆民の方は政府にとって厄介な「民権」を掲げたからである。「民権」は今でいう「人権」のことであるが、当時の政府は天皇制国家の建設途中であったので、そんなものは後回しにしたのである。
その兆民は「日本に哲学なし」と言ったことでも知られる。彼のいう「哲学」とは、既存の思想や宗教や制度について疑問をもつことを意味した。日本にはそうした伝統が根づいていないと痛感したのである。
兆民は「人権」発祥の地フランスに留学した。大学にではなく、なんと小学校に。成人した知識人が外国の小学校に留学したという話はめったに聞かない。フランスの小学生たちに珍しがられたろう。
なぜ小学校だったのか。フランス国民の思想を知るには子どもたちを見た方が早いと思ったからだ。卓見というか、勇気があるというか、なんともすごい。
では、彼はそこで何を学んだのかといえば、その結論が先に述べた「日本に哲学なし」である。日本人はフランス人の子どもほどにも物事を疑わない、そう感じたのだ。
確かに、日本人は太古から現代まで物事を疑わない。なにかを信じ込むというふうではなく、すべてを当たり前のこととして受け止めるので、疑いが生じないのである。そういうわけだから、社会制度の改革とか、神話体系への批判とか、起こるはずもない。兆民の言うとおり、「日本に哲学なし」である。
しかし、国民に哲学はなくとも、哲学者がいなかったわけではない。ただし、いくらすぐれた哲学者でも、この国ではその思想が理解されて受け継がれるかわりに、その人物を神棚に祭り上げることで葬り去る。太宰府天満宮に祀られている菅原道真を見ればよい。頭が良かったので周囲からけむたがられ、筑紫国に左遷され、死んでから神様扱いとなるのだ。
聖徳太子も太子信仰といって長いあいだ神様扱いされてきた。一度に十人の訴えを聞き分けることができたといわれる彼のような天才も、凡俗には嫌われたのだ。
聖徳太子の思想が見直されたのは近代になってからであろう。そのせいで、福沢諭吉の前に一万円札を飾っている。これがあったために、彼のことを知る日本人も多い。
では、どうして彼が一万円札に選ばれたのか。詳細はわからないが、この人物こそは日本を文明化したのだという認識が、大蔵省造幣局にあったのだろう。
聖徳太子はたしかに日本を文明に導いた。それまでの日本は部族社会だったが、これをアップグレードさせたのである。そのために彼が用いたのは仏教という高度な哲学であった。
今日の観点からすれば、彼の最大の功績は日本に民主主義をもたらしたことだといえる。その思想は彼が書いたという十七条憲法に端的に表されている。その第10条のおよその内容を紹介しよう。
「誰かが自分とちがうことを言っても、怒ってはいけない。人それぞれに考えがあり、それに執着するものなのだ。それゆえ、自分が正しければ、相手は間違っていると決めつけてしまう。ところが、自分が聖人で、相手が愚かだという保証はどこにあるのか。もしかすると、相手が聖人で、自分が愚者だという可能性もある。だから、人と意見がちがっても、怒ってはいけない。」
このような思想が7世紀初頭の日本で発せられたこと自体、驚異であろう。そんなことを言う聖徳太子はすごいどころか、すご過ぎるのだ。なのに、世の学者たちは、聖徳太子は本当にいたのか、彼が十七条憲法をつくったというのは嘘ではないのかなどと言っている。彼らこそは、哲学の何たるかを知らないのである。
十七条憲法は私たちが肝に銘ずべき哲学をもつ。これに基づいて生きれば幸福な社会をつくれるのだ。それにしても、「自分が聖人である保証はどこにもない」とは深い。こんな言葉があるなんて、ありがたいではないか。
同じ太子には「世間虚仮」(せけん・こけ)という言葉もある。この世は仮のもの、中身があるかに見えて実は空っぽだ、と言っているのである。そう言ったうえで、彼は「仏のみ真実」と言った。
一見すると、仏教の宣伝のようにも聞こえるが、当時の日本人は仏教の何たるかも知らなかった。太子にすれば、日本人を文明人にするには仏教しかなかったのである。
世間的なことに価値を置く人が大半であるというのに、それを「虚仮」だと言い切ってしまうとは。有名人になりたい、金持ちになりたい、人より上に立ちたい。これが人間の欲望であるのに、太子はそんなものは虚仮(空っぽで中身がない、錯覚)だと言い放ったのである。
ところで、禅仏教に「仏に遭ったら仏を殺せ」という言葉がある。仏教を信じてはいけないというのである。仏教には神はいない、たとえ仏であっても、これを崇拝してはいけないというのだ。なんとなれば、仏も虚仮だから。聖徳太子を崇拝してはいけないということだ。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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