知っておきたい哲学の常識(18)─日本篇(8)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
寺田寅彦の二刀流
二刀流は日本のお家芸である。日本文化は何かといえば、二刀流文化すなわちハイブリッド文化である。文字のなかった日本に漢字が入ってきて、漢字文明がこの国の土台をつくった。しかし、それでは飽き足らず、眠っていた土着の心が目を覚まし、土着の声を反映するカナ文字が生まれた。かくして、和漢の文字の二刀流が出来上がった。
宗教にしても、原始宗教の世界に仏教が入ってきて仏教一色になったかと思えば、そうでもない。ご存知のように、原始宗教の方も様変わりして神道となり、かくして神仏習合と呼ばれる神仏の二刀流が完成した。日本人から仏教をとってもダメ、神道をとってもダメ。その両方がなくてはならない。
近代になると西洋の科学技術が入ってくる。この科学技術の威力は凄まじいものだったので、これに圧倒された日本人は、一時的に西洋一辺倒に傾いた。しかし、持ち前の二刀流精神が少しずつ復活し、今に至っている。
平安時代の日本には「和魂漢才」という言葉があった。漢字文明を技術と見なし、これを身につけながらも、心は日本の伝統にしたがうという意味である。同じように、明治日本には「和魂洋才」なる言葉が生まれた。だが、はたして、漢字文明にしろ、西洋の科学文明にしろ、これを身につけるべき技術というふうに片づけてしまっていいのだろうか。
そんなことは無理だとはっきり言ったのが福沢諭吉である。科学の精神はそんな生やさしいものではなく、むしろこれを徹底的に日本人の心に植えつけなくては、日本はこれからはやっていけないと見たのだ。
福沢にとって科学は西洋のものではなく、普遍的な価値だった。日本人はこれを自分のものとすることで、人類の一員となれると見たのである。
このような福沢の立場は、しかし、しばしば誤解されてきた。彼のことを西洋崇拝者と思い込んで、彼を暗殺しようとした人までいるのである。福沢にすれば、科学が普遍的なものである以上、これを身につければ西洋の上に立つ可能性さえある。西洋を批判できる境地をひらく可能性もある。この考え方は重要ではないだろうか。
福沢は科学を重視するあまり、文学を無視したと批判する人もいる。しかし、彼にすれば、文学に時間を費やしすぎて科学的精神の発達が遅れるなら、それこそ国の生命が危うくなると思ったのである。科学的精神とは理にかなった精神であるだけでなく、その理を事実によって証明する手続きを重んじる精神である。この精神がなければ日本は滅びる、と思ったのだ。
では、福沢は二刀流の人ではなかったのか。彼もまた二刀流だった。ひとたび科学の精神を得たなら、その精神で西洋も日本も客観的に見ることができるようになり、自他の文化比較もできるようになると見たのである。比較こそは王道。それが彼の哲学だ。
このような視点を持ったということは、彼が世間から独立した精神の持ち主だったことを示す。彼自身はこれを「独立自尊」と言ったが、そこに彼の最大の強みがあった。
さて、福沢のこの精神を受け継いだ科学者は数多くいるが、なかでもその二刀流が際立っているのが物理学者の寺田寅彦である。物理学者としてもノーベル賞に手の届くところにいた人だが、彼の名が知られているのはその名随筆によってである。科学の精神を多くの人にわかりやすく伝えようとしたものだ。
寺田の二刀流は、端的に科学と伝統文化の両方にまたがったその生き様にある。熊本の五高時代に科学と俳諧の両方に開眼し、生涯この2つの道を歩んだ。物理学の研究に飽きたら俳諧の道を楽しむ。かと思えば尺八の音に聴き入り、その音の波動を研究して数式で表す。そして、ついに俳諧は日本的な自然観のあらわれ、科学は西洋的な自然観のあらわれと、両者を同じ土俵に並べ、それぞれに価値のあるものと見定めた。
寺田の科学者としての評価は今になってますます高いものとなっている。当時は世界中の科学者が永遠不変の法則を探求するあまり、刻々と変化する気象とか地球内部の変化とかに興味をもたなかったのに、寺田は早々と不規則的な変化をする現象に目をやり、たとえば墨汁を水中に垂らしたらどんな動きをするか、そのパターンを研究したのだ。このようなパターン研究は彼の死後何十年か経て、ようやく西洋でも研究者が現れた。
寺田が現代科学の先駆者となれたのは、彼が二刀流の人で、日本の文化的伝統を見失っていなかったからだ。だが、誤解してはならない。二刀流といっても、彼は和魂洋才の人ではなく、福沢型だった。すなわち、なによりも科学の精神を重んじ、そこから西洋文明も自国の伝統も見たのである。
寺田にはこんな言葉もある。「これからは宗教も、芸術も、一度は科学で濾過されなくてはならない。」科学に裏打ちされないような宗教も芸術も先がない、と見たのだ。読者諸氏、これをどう思うだろうか。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。関連キーワード
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