2024年12月24日( 火 )

知っておきたい哲学の常識(20)─日本篇(10)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

カズオ・イシグロの執念

イギリス イメージ    カズオ・イシグロといえば長崎生まれのノーベル賞作家。5歳のときに両親とともにイギリスに渡り、そのまま彼の地にとどまって国籍もイギリスとなった。だから、日本人とはいえない。

 しかし、彼の作品には日本的なものがにじみ出ている。映画『日の名残り』を見た私は、そこに日本を感じ、原作者がカズオ・イシグロと知って納得した覚えがある。

 原作を読んでみて、やっぱりこれは日本だ、日本と日本人を描いている、そう思った。だが、その日本や日本人は、日本のどの作家にも描けない、というか描こうとしない日本であり、日本人だった。ある種の執拗さ、問題の核心へ至ろうとする精神の強靭さ、それは通常の日本作家には欠けるもので、それが彼の作品を普遍的なものにしている。

 『日の名残り』は没落するイギリス貴族の世界を描いたものである。日本のにの字も出てこない。主人公は由緒ある貴族の屋敷に父親の代からつとめる執事で、この人物は日本でいうと滅私奉公の典型。お屋敷のため、ご主人様のために命を捧げるタイプだ。

 だが、彼が神様のように崇めるその主人は、第一次大戦における敗戦のせいで英仏から苛酷な賠償を強いられていたドイツに同情し、ナチスに対しても援助を惜しまない人物であった。執事である主人公には政治のことはまったくわからなかったし、ご主人様のおっしゃることならきっと正しいにちがいないと心を決め、主人がナチスに依頼されて屋敷に勤めるユダヤ人を全員解雇するようにと言うと、なんの躊躇もなく解雇してしまうのである。そういう主人公の内面を、作者イシグロは執拗に追求する。

 イシグロのすごさは、この主人公のように主人の命令ならなんでも従うことがいいことなのか、滅私奉公はほんとうに美徳なのか、それを執拗に問うことにある。なぜそういう問いが出てくるかといえば、日本では実際にそのような精神が国全体を支配し、それが人々を戦争へと追いやったからである。イシグロはそのような自分の先祖の国、否、自分の両親の国の歴史を知るにつけ、日本の戦争を自らの責任として引き受けているのだ。

 イシグロがどこまでそれを自覚しているか、そこは本人に聞かないとわからない。しかし、彼の問いかけが仮にも日本に向けられているとするなら、日本読者はそれを真摯に受けとめねばならない。皮肉なことに、『日の名残り』の主人公は主人とともに終戦を迎え、長年つとめた愛着ある屋敷はアメリカ人の富豪に買い取られてしまう。となると、今度はアメリカというご主人様に仕えることになるのである。伝統に生きる人間の、伝統など少しもわからないアメリカ人との出会い。そこに戦後日本を重ねることもできる。

 イギリスは第二次大戦の戦勝国である。しかし、主人公の心は晴れない。なんとなれば、彼の尊敬する主人が戦時中に敵国と通じていたからで、そのことをこの主人は公の前で「自分は誤った判断を下した」と反省し、謝罪したのである。主人公は悲嘆に暮れる老主人を見るのがつらかった。しかも、屋敷はアメリカ人に売られ、自分は屋敷とセットでアメリカ人の手に渡る。悲しい戦後である。

 作品のクライマックスは、主人公が自分の人生は失敗だったと悔やむ場面である。なにが失敗だったかといえば、人間に過ちがあるのは仕方ないとしても、ご主人様は自らの過ちを反省することも謝罪することもできたのに、自分にはそれすらできなかったというのである。つまり、自分には自分の行動に責任を感じる主体性すらなかったということで、そういう他人まかせの人生を、今になって悔いているのだ。

 この主人公の悔やみは、日本に重ねてみると深刻である。日本人はなんのために戦争をしたのか。そのことがわからないままに戦争を始め、ついに敗戦してしまったではないか。
多くの日本人にとって、戦争は「お上」がやれと言ったからやったのであり、そこには主体というものがなく、したがって責任というものもない。

 このように捉えると、イシグロの執念の内実が見えてくる。彼はどうあってもこの問題を放置しておけなかったのだ。そのような執念をどうして彼はもったか。おそらくは、彼がイギリスで育ったからである。

 イギリスのNHKともいうべきBBCが製作するテレビドラマを見れば、現在のジャーナリズムのあり方を批判的に扱った『プレス』、過剰とも非難されるロンドンの監視カメラの問題を扱った『ザ・キャプチャー』など、いずれも深刻な問題を正面切って扱っている。そのような厳しい空気はイシグロの体内にも染み込んでいるはずで、それが彼の作品の重みとなっているのだ。

 イシグロの作品はイギリス本国はもちろん、諸外国でも評判だ。だから、彼のテーマは日本以外にも当てはまるにちがいない。しかし、日本人である私たちは、彼の作品を日本へのメッセージと受け止めるべきだろう。彼の声を、耳を澄ませて聴きとりたい。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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