上海の激変~ある日本人経営者から垣間見る(2)
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中国のヴィネチィア、烏鎮
1時間の工場視察を終え、車で40分かかる観光地に向かう。その場所を烏鎮という。浙江省北部嘉興市桐郷市にある。最近、観光客が増えており注目されている。日本からの団体ツアーも増えているそうだ。上海からバスで2時間弱という交通の便の良さも手伝っているのであろうか。宿泊場所も充実しているようで宿泊客も多い。
上海・蘇州・杭州の三角形の中心に位置しており、大運河に面した場所だ。小さい運河、小川が縦横無尽に流れているのはそのためだろうか。その川沿いに1,300年前から街並みが残っていた。この場所を、中国政府の肝煎りでリゾート拠点として再開発したことで注目されるようになった。
また、歴史的遺産の復元という枠を超えて、現代社会の最先端モデル地区として建設されたという意味合いもある。IT政策を推進するため、「世界インターネット大会」も開催された。さらに烏鎮には国家会展中心(国立コンベンションセンター)も置かれているのである。ある意味では国家主導でスマートシティを具現化した、期待の地域といえるだろう。
経済発展してきた上海・中国においては現在、人民の憩い・オアシスの空間のインフラ充実に力点が置かれている。日本人にはあまり馴染みがないが、揚子江河口に崇明島という島がある。広さは1,225km2、福岡市の3.5倍ある。この島には80万人の人が住んでいる。
2002年ラムサール条約登録地になった。鳥類自然保護区に上海から大勢の市民がバードウォチングに押しかけている光景を目の当たりにしたことがあった。経済発展の恩恵を受けた庶民たちは、自然に対する強い渇望感を抱いているのだ。
松江地区の変貌
2日目14日。午前9時に野中夫婦がホテルへ迎えに来られる。現在の工場は10年前にオープンした。別会社として運営されているが、野中氏にしてみると上海に2つ目の工場を建設したことになる。場所は上海松江区。上海中心から南へ30キロ。2000年当時は松江区の大半は田んぼだらけであったそうだ。上海政府がこの場所を工場開発区として指定したのが1995年前後であった。
以前、この松江区の工業団地に知人の日本企業が入居しようとしていた。しかし、事業の将来を鑑みて「見通しが暗い」と判断し、上海から撤退することにした。「ぜひ、あとを引き継いでくれないか」という必死の嘆願を受けたのだ。野中氏もこの先の自分の事業展開と照らしあわせて苦慮したが、結果は引き受けることを決断したのである。
2005年に新工場が落成した。土地利用権50年の契約で3億5,000万を納めた。さらに建設投資額5億円を費やして本社機能をもつ建物と工場2棟を立ち上げた。そのオープニングセレモニーに、筆者は参加したのである。当時は見渡すところ田畑ばかり。わずかに住居が転々と見らける程度のド田舎であった。工場周りの道路はようやくアスファルトが敷き詰められる段階で、歩くと靴が汚れる始末。
ところがどうだ、現在の光景は!工場の周辺には20階建て以上のマンションが林立している。今や上海南部では中心的な新興住宅街になっているのだ。工場がマンション群に取り囲まれているのである。住宅街の周囲にはショッピングモールなどの商業施設が次々と建設されているのだ。
わずか10年で、上海の南部の田舎・松江区がこれだけの新興住宅街に発展するとはまさしく驚きである。現代の日本ではこのような短期間で変貌する可能性のある場所はない。
上海市政府は、環境汚染撲滅のために素材加工産業を市内から一掃しようとしてきた。その政策の一環として、松江区のこの工業団地から立ち退き命令が下された。また「松江区を従来通りの工場地区と指定したままではもったいない」という政治判断も加わったのだろう。
一見、強権的発動と見受けられる。ところが後から住み着き始めた住民たちからはこの政策を支持している。「近所に工場敷地があるのはよくない」という本音を抱いているからである。
上海・北京の市街地から、素材加工産業など大気汚染の原因になる産業などは放逐される強権的政策が推進されている。この政策の影響かどうか定かではないが、上海・北京の大気状況は改善されている。上海滞在期間3日間で2日間は青空を見ることができた。
(つづく)
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