2024年12月22日( 日 )

『脊振の自然に魅せられて』番外編「白馬に集う」(前)

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 「白馬に集まろうや!」、今年の大学同期会の開催場所はすんなりと決まった。コロナ禍前に決めていた場所である。

 同期会とは西南学院大学ワンダーフォーゲル部1968年卒業の仲間である。入学は東京オリンピック開催の1964年、当時は学費値上げ反対運動や、佐世保へのアメリカ空母「エンタープライズ」入港に対する反対運動など、学生運動が盛んな頃である。また、山歩きが好きなワンダーフォーゲル部も、人気の同好会であった。当時は同好会であったが、後に部に昇格した。

 会には新入生14、5名が入部した。1年生にとって先輩方は偉大に思えた。そんな先輩に囲まれ重いザックを担ぎ汗まみれになりながら、「こん畜生」と山を歩いた。布製のテントは雨を吸えば倍の重さになる。主食は米で、夏合宿ともなると1週間分の米袋を背負うことになる。食料はリーダーの3年生の荷から先に減って行き、1年生が担ぐ食糧が減るのは最後になる。したがって1年生はいつまでも重い食糧と団体装備の入った約35㎏のザックを担がされた。

 冷たい雪渓の水で米を研ぎ、ホワイトガソリンを圧縮したホエブス(火器)で飯盒の飯を炊く。高山になると気圧が低いので100度になる前に湯が沸騰する。米は半煮え状態のゴッチンになる。おかずといえば大鍋に缶詰めの肉やジャガイモ、玉ネギ、人参など日持ちの良い野菜を適当に入れた「ごった煮」と称するものであった。部員は、いつでも食事ができるように胸ポケットに武器と称したスプーンを刺していた。昼はアルミの食器に粉末ジュースとカンパンとソーセージであった。

 ワンダーフォーゲル部は山だけでなく道路も歩く(シャバ歩き)。時計を見ながら休憩時間を楽しみに、もう辞めてやると思いながら歩いた。そんなクラブ活動であった。

 夏合宿は尾瀬や飯豊連峰、霧が峰などパーティごとに分かれて合宿地に入り、最後は集結場所に全パーティが集合し、夜のキャンプファイアーで歌を唄い青春を謳歌した。

 キツくて、汗まみれの合宿が終わると、綿の上着は汗で塩を吹いていた。食べないとバテルから好き嫌いはなくなっていた。同期とは文字通り同じ釜の飯を食った仲間である。

 それから40年後、子育てや仕事が一段落したころ、再び集まろうと、年1回の同期会を続けて20年になる。同じ釜の飯を食った仲間と会えば、利害関係もなく青春時代にタイムシフトする。

 今年の同期会の日程は気候の良い5月22日(月)~24日(水)に決まった。幹事は持ち回りで、今年は東京組が引き受けた。東京、大阪、福岡と住まいを分けた仲間が白馬東急ホテルに集合し、2泊3日で白馬岳を主峰とする後立山連峰の山々を仰ぎ見ようとの計画である。

 東京組は当時の部活の顧問であった 大学の(元)T先生89歳を含め3名、大阪1名、福岡組7名の11名が参加した(女性3名、男性8名)。

 期待した白馬のリフトはスキーシーズンと夏のシーズンの間にあり、当日は運行していないことが、日程を決めた後に判明した。唯一運行しているのは、白馬岩岳ゴンドラである。

 5月22日それぞれの交通手段を利用し、11名が白馬東急ホテルに集合した。77歳を超えた男女のメンバーである。

 山の展望を期待し、何とか天気であって欲しいと祈ったが2日目は小雨模様。帰路日の3日目の天気回復を祈るばかりであった。

大農わさび園にて 左端が筆者
大農わさび園にて 左端が筆者

 小雨模様の2日目はJRを利用し穂高駅周辺の観光スポットを見学。昼は駅近くの穂高蕎麦店で済まし、大王わさび園、穂高神社、ガラス工房とタクシーを使って散策した。足腰の悪い先生を含め2名がホテルに止まった。

大農わさび園の清流 ゴッホの絵画を思わせる
大農わさび園の清流 ゴッホの絵画を思わせる
田淵行男記念館
田淵行男記念館

    広大なわさび園の清流やわさび畑に感動した。そこから移動したガラス工房の隣に偶然であるが、田淵行男記念館があった。1905年生まれの山岳写真家で、筆者の尊敬する写真家でもある。こんな所にあったのかと、安い入場料を払って入場すると、先人の写真パネルや登山装備、カメラ機材を目に焼き付けた。次に訪れた穂高神社は、福岡市とゆかりのある地で、志賀島一帯の安曇族が長野県安曇村に定着したとある。

 2日目の夜はホテルでのディナーに続き、やや早いがT先生の90歳の誕生会を幹事の部屋で行った。誕生日ケーキは穂高駅周辺のケーキ店で幹事が購入していた。ケーキ店には1つだけ誕生ケーキが残っていたらしい。幸運であった。体調不良で欠席となった長崎在住の女性Tとは、スマホのテレビ通話を利用し中継した。

穂高神社
穂高神社

(つづく)

脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

(後)

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