2024年11月24日( 日 )

電通の外部委調査報告書を読む 「クライアント・ファースト」の原点は「鬼十則」(後)

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 東京五輪・パラリンピックをめぐる一連の事件では、背景に「電通一強」があったと指摘された。なぜ、単なる広告会社を超える存在に育ったのか。
 一連の談合事件を受け、広告最大手(株)電通グループは6月9日、弁護士ら外部有識者でつくる調査検証委員会(委員長=池上政幸・元大阪高検検事長)の報告書を公表した。談合事件に関与した原因として、「過剰なまでにクライアント・ファーストを偏重する組織風土があった」と結論付けた。かの有名な『鬼十則』が組織風土をつくったのは間違いない。

『鬼十則』はクライアントの懐に
飛び込むことを提唱した「実践論」だ

【鬼十則】
 1.仕事は自ら「つくる」べきで、与えられるべきではない。
 2.仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで、受け身でやるものではない。
 3.「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
 4.「難しい仕事」を狙え、それを成し遂げるところに進歩がある。
 5.取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは・・・。
 6.周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
 7.「計画」をもて、長期の計画をもっていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
 8.「自信」をもて、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
 9.頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
 10.「摩擦を恐れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

「鬼十則」は民放ラジオ広告争奪戦の決意表明だった

電通 イメージ    吉田氏は光永氏が課した社員鍛錬に率先して参加して、光永イズムを身につけた。「鬼十則」が光永氏の経営理念を色濃く反映しているのはこのためだ。

 ところが(公財)吉田秀雄記念事業団の公式伝記によると、〈この作者は、自ら会心のこの十則を、役員や社員に朝礼などで復唱させるなどの強要を決してしなかった〉という。

 当時、吉田氏が全力投球していたのは、民放ラジオの放送の立ち上げに挑戦すること。民放ラジオは51年9月、名古屋の中部日本放送を皮切りに放送を開始した。

 その前月に起草した「仕事は自ら『つくる』べきで、与えられるべきではない」で始まる「鬼十則」は、民放ラジオの広告争奪戦に挑む決意を表明したものだったのである。民放ラジオの広告争奪戦の決意表明。クライアントの懐に飛び込めが、その核心だ。

電通はイベント屋になっても、
「鬼十則」の遺伝子を継承した

 吉田氏が入社したのは、「押し売りと広告屋は入るべからず」と書いた警告文を、玄関に張り出す会社が多数あった時代だ。広告は押し売り同様に扱われ、広告代理業の社会的地位は低かった。それに反発した吉田氏は、仕事の何たるかを記した激烈な鬼十則を起草した。

 吉田氏が執念を燃やした広告業の近代化は、テレビ時代の到来とともに実現した。劣等感が渦巻く職場を、「広告の鬼」吉田秀雄氏は、大学生が殺到する人気企業に変貌させた。

 活字や電波の媒体をまず押さえ、広げた間口にあらゆる広告を呼び込むという吉田氏の手法は日本独自のシステムだった。欧米では同業他社の広告を扱わない一業種に広告一社が原則だ。

 テレビが24時間放送体制になり、CM枠の拡大が限界に達したことから、新たな収益源を求めてイベントやコンテンツビジネスなどの仕事を拡大してきた。その象徴がオリンピックを頂点とするスポーツビジネスである。

 やり方は「鬼十則」を踏襲した。クライアントの懐に飛び込んだ。東京五輪談合事件では、電通は大会組織委員会に多くの社員を出向させ、組織委と一体となって受注調整を主導した。「黒衣」に徹することで果実を手にする。電通が最も得意とする手法だ。

 電通のDNAが変わることはない。「クライアント・ファースト」の「鬼十則」は不滅なのである。

(了)

【森村 和男】

(前)

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