2024年12月23日( 月 )

55年連れ添いの伴侶の死から何を学ぶか(5)正確に言い当てられたのは「発病後3.5〜3.6年の命」だけという医療水準

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まるで無知な専門医

病院 イメージ    悦子は2021年夏からひどい痰に悩まされるようになった。しまいには一晩でティッシュペーパーを1箱使い切るような状態になった。心配になって、知人に紹介された耳鼻咽喉科専門病院へ行ったところ、医師から提示された治療法はたったの一言、「漢方の薬を処方しますから、しばらく様子をみてください」とだけ。3カ月ほど通院した末、最後に院長が下した結論は、「おかしいですね、薬が効きません。病院へ行って診断してもらってください」だった。

 ここで言われた「病院」とは、大学病院などの総合病院のことである。専門病院では難病になりそうな診断は下さないのだ。責任逃れなのかどうかは定かでない。いずれにしても、悦子としては、ここで何ヶ月も無駄な時間を費やすことになってしまった。もちろん、専門医が元凶となる病気を診断するのはなかなか難しいのであろうとは十分推察できるが、患者にとって、安易な専門家頼みはむしろ命取りになりえることを、心得ていただきたい。

大学病院でも異常なし

 信頼できる人物から、ある大学病院を紹介してもらった。精神内科である。そこで精密な血液検査を受けた。結果、下された診断は「何も異常はありません」。そのころにはすでに、体の異常がさまざまに現れ始めていた。上述の大量の痰はもちろん、筋肉の衰え、四肢の動きの鈍重化などである。医師は病状に即して診断を下すことができない、ただただ血液検査の指数をもってしか診断できないのだと、愕然とした。

 4カ月経過してまた不安に駆られた。前も紹介してくれた人物に、再度、検診の紹介を頼む。「コダマさん、私の勘では、悦子さんはALSだと思う。覚悟していた方がいい」という、驚くべき助言があった。はたして2回目の検査も1回目と同様の結果だった。何度でも言う。目の前に病人がいる。医者にはこの現実から病気の根源に迫っていただきたいと願うのは、患者とその家族にとって自然なことだ。ところが、血液検査から判断するしか能がないとは、正直頭にくる。

コロナ感染で病気の進行が加速

 22年2月にコロナ感染で入院した。そこでの病院食で悦子は体重を40kgを割る羽目になった。この体重減が、その後の病状悪化を早めたと確信している。

 悦子の担当は若い医師であった。退院の際に、「2週間後に検査にきてください」と言われたそうである。悦子本人の言葉によれば、「若い医者さんは、何か自分が関心をもっている病気の名前をしきりに口にしていた」とのこと。指示通り、2週間後に検査に行き結果を待った。そして、医者が下した診断は「何ら異常はありません」だった。いままさに現れているコロナの病状にはまったく関心を示さず、己れの仮説に基づく病気しか見ようとしない、まことにおかしな医者であった。

唐津の治療医だけが熱心に研究した

 10年来のつきあいで信頼関係を築いていた唐津の鍼灸治療院の先生は、必死になって、悦子の病気の解明に取り組んでくれた。「私に任せてください」と言った手前もあったのだろうが、22年9月頃から悦子の病状について研究を重ねていた彼から、10月になって、暗い声で連絡があった。「悦子さんの御病名はALSです。完治はできませんが、病状の進行を遅くすることはできます」という。

 この治療院には80歳のALS患者も通って治療を受けている。報告を受けて、「悦子の命はもう長くない」と覚悟した。悦子を診た医師のうち、この唐津治療院の先生だけが彼女の葬儀に参列して下さり、「すみません、私の力不足で悦子さんを助けることができず…」と、深々と頭を垂れられた。

正式にALSの診断をもらう

 これまでもたびたび述べてきた通り、今年2023年は児玉家にとって、新年から悪魔に取り憑かれた年となった。1月3日、救急車で病院に運び込まれたことで、最後の決断を下した。かつて九大病院に勤め、いまは別の病院の院長に就任している精神内科の権威の方のもとで、改めて2週間の検査を受けた。そこでようやく、「ALSは19年5月前後に発生していたとみられる」という診断が下されたのだった。2週間もの徹底した血液検査なら、あらゆる指数のデータを収集できる。そこから「ALS」と診断されたのである。

 しかし、残念ながら、さすがの名医でも治療については明確な提案は聞かれなかった。この日から5カ月半後に悦子は永眠した。なお、「ALSは19年5月前後の発病」云々は、我々の話を聞いたうえでの判断と思う。

責任逃れの最終病棟

 何もクレームをつけているのではない。最後の病棟では、看護師さんたちは悦子をまことに丁寧に看病してくれた。病院側は「この患者は5カ月先まで生きる」とわかるのであろう。点滴だけでもそのくらいの期間は生きるというのが、経験則として共有されている。病院にとって最大の関心事は、故人の家族からのクレームを防止することである。

 最後に一言。病院側が患者の家族の見舞いをフリーにしたら、あと2週間の命であると暗に通告しているのだということを、読者諸兄にも共有しておきたい。

孤発性ALSであった

 この病気について、ネットで調べてみた。東京大学大学院医療系研究科の、ALSの大家の説明によれば、これは遺伝的な病気ではない。悦子の場合は孤発性ALSであった。なぜこの病気になったかは次回触れるが、発病の機序としては、「運動ニューロンと呼ばれる運動神経細胞がカルシウムイオンの大量発生によって力を奪われる」というようなことであるようだ。

 70歳前後で発病した患者は、発病から3.5~3.6年で亡くなるとも書かれていた。それだけは正解であった。

(つづく)

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筋萎縮性側索硬化症

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