支配・侵略の6000年の歴史の変遷~イタリア・シシリー島(9)
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俺はイタリア人ではない、シシリー人だ 地震が怖い=ラグーサの都市から学ぶ
農業レストランを去って一路、南下する。地中海にぶつかる一歩手前にラグーサという街がある。300mの高台に建設されている。この街の起源は紀元前1000年前と言われギリシャの植民地都市として発展してきた。東ローマ帝国支配時期には町は要塞で囲まれる状態であったそうだ。
この街を悲劇が襲ったのは1693年のことだ。大地震の襲来で街の大半が崩壊し、住民5,000人以上が犠牲になった。街の全壊から復興に向けた活動が開始され、その結果、街並みの復興に成功した。
観光客が目にする街並みは1700年初頭の完全復興版である。イタリアおよびシシリー島は火山の噴火も怖いが、地震もそれに劣らず怖い存在だ。都市が破壊された実例は枚挙にいとまがない。
暗闇のシラクーサに戻ってきた。人通りは皆無。海に囲まれているから潮騒の匂いは感じ取られる。歴史の匂いを溢れさせるシラクーサの夜がシシリーツアーの最後となった。私は「2018年2月24日、記念多い日になった」と日記に綴った。
シシリーの誇りの体現者・陶器づくりの職人
シシリー島に先史時代から定住していた者たちをシクリ人と呼ぶ。この島では5000年前から陶器がつくられていたことが遺跡から判明している。たしかに先史時代から下ってさまざまな侵略が繰り返され、血の混合が絶えず繰り返されてきた。だから5000年前の原住民シクリ人と現在のシシリー人とは民族的に大幅な差異があるはずだ。ここで強調したいシシリー人とは現地で生活している人たちの意識を指す。
25日最後の訪問先・カルタジローネに昼間に着いた。24日の晴天から一転して、またまた雨である。この街もシシリー南部に位置した陶器の生産地として有名なところだ。
陶器の歴史は1100年前後に遡ると言われていて、現在、「カルタジローネ陶器」というブランドが定着しており、一大産業化しているとか。周辺には陶器用の粘土がたくさん堆積しているそうだ。まずはカルタジローネ陶器を写真で鑑賞されたし。
ここで紹介したいのは陶芸家であり陶芸販売の自営業者・シシリー人のことである。カルタジローネもご多聞に漏れず若者たちが都会へ流出しており、人口減を食い止めることができていない。観光業だけでは誰もが飯を食っていけないのが現実なら、若者たちの流出阻止は無理だ。観光客向けに単に陶器を仕入れて商売しても儲けることは難しい。以上を説明してくれた。そこから、この陶芸家・店主の話の核心に辿りつく。
家業は3代目。親父の後ろ姿を眺めつつ、小学校の時から見よう見真似で陶器づくりに励んできた。ラフも描き、独学を積んできた。高校進学の年齢になると勇んで専門学校のデザインコースに進んだ。さらに大学へ進学しながら陶器づくりの腕前を磨いた。業界のコンテストでは賞を総なめしてきた。カルタジローネには戻らずに「ローマで勝負しよう」という誘惑も抱いたことがあったとか。
しかし、25歳を過ぎたころから己の根源を捉え直すようになった。「俺はシシリー人ではないか。俺の陶器づくりの技術を生かし、少しでもシシリーに貢献したいという気持ちが高まってきた」と語る。
現在、3代目の陶器店を引き継ぎながら店内で陶器づくりに励んでいるのである。彼は淡々と本音を次のように語る。「シシリーには5000年の歴史がある。イタリアはたった150年しかない。俺がシシリー人と叫ぶ気持ちをわかってほしい」。補足すると我々の学んだ知識は地政学的にイタリア半島があり、その付け根にシシリー島が横たわっていて、そこまでがイタリア国家なのである。だから単純にシシリー島住民はイタリア人としか理解していない。しかし、イタリアが現在の統一国家になったのは1840年代のことだ。ようやく立憲国家として、ひとまとめできたのである。
それから20年が経過してカリバルディがシシリー島住民へと呼びかけた。1861年のことだ「シシリーの皆さま!!イタリア国家に参画しませんか?」と呼び掛けたのだ。いや、この知的醍醐味は現地に接しないとわからない。「俺はシシリー人だ」の雄叫びにはすっかり魅了された。次回は必ずシシリー中部・西部を視察することを決めた。
(つづく)
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