2024年11月27日( 水 )

広島サミット後の国内政治 統治能力欠く政権と、自壊した立憲(前)

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政治経済学者 植草 一秀 氏

 被爆地広島でサミットが開催されたが、岸田文雄首相の思い入れによる「広島ビジョン」には「核兵器は有用な兵器である」ことが明記されるとともに、G7はウクライナへの軍事支援継続を決めた。核兵器廃絶とウクライナ戦乱収束に向けての第一歩を印し、サミット日本開催の意義を世界にアピールする絶好の機会を岸田首相は棒に振った。支持率を回復させ解散総選挙を実施する構想が存在したはずだが、サミットを頂点に内閣の再凋落が始動、気後れしたのか総選挙は先送りされた。マイナトラブル、政権内不祥事、災害対策への緩んだ対応などを背景に、岸田首相の求心力は低下の一途をたどる。日本政治刷新の必要性が高まるこの情勢下、今週以降の政治を展望する。

独断・専横で支持率急落

 岸田内閣が発足して丸2年の時間が経過する。冷静に評価して、岸田首相に高く評価できる実績はない。温和な人あたりで、前任者、前々任者と比較すれば丁寧にものを話すから、相対的な印象の良さで政権発足当初は高い支持率に恵まれた。しかし、何を問われても「検討します」と受け答えすることから「検討使」と揶揄された岸田首相が、自身の判断を前面に出し始めたところから支持率は急落に転じた。

 昨年7月に安倍晋三元首相が暗殺された。岸田首相は7月14日に国葬を実施する方針を示した。独断・専横での方針提示を境に、支持率急落が始まった。国葬実施には法的根拠も正当な理由もない。財政支出の根拠も不明確。安倍氏暗殺の背景に統一教会との癒着があることが明らかになるにつれて、世論の反発は一段と強まった。

 岸田首相は統一教会問題に焦点が当てられたにもかかわらず、安倍氏と統一教会の関係についての調査を拒絶。調査に限界があるとしても限界まで調査するのが当然の対応だが、岸田氏は調査自体を拒絶した。自民党と統一教会の関係を遮断するとしながら、統一地方選では関係が温存されたと見られる。

 独断・専横路線に転じた岸田首相は、昨年末に3つの重大な政策路線を提示した。軍事費倍増、原発全面推進、大増税検討の3方針である。すなわち、5年で27兆円とした軍事費を一気に43兆円に増加させる方針を明示。グリーンDX法制定を強行し、原発の全面的稼働および新設の方針を決定した。合わせて、政府支出激増を賄うために財源調達の必要性を訴えつつ、庶民に対する大増税路線が示唆された。

 国論を二分する重大問題について、十分な論議もなく方針を決定し、直ちに法制化するという乱暴な政策運営におよんでいる。かつての「何もし内閣」が、「とんでも内閣」「どうしようも内閣」に転じたといえる。岸田首相の独断・専横的な政策運営の始動とともに内閣支持率は急落に転じ、昨年9月には政権終焉秒読み開始を意味する内閣支持率3割割れに移行した。2006年以降、支持率3割割れの内閣は例外なく10カ月以内に終焉している。岸田内閣も終焉の危機に直面した。

 この危機からの脱却を支えたのは野党だった。野党第一党の立憲民主党の不人気が、岸田内閣不人気を上回った。野党の迷走が内閣の存続を支える最大要因になった点を見落とせない。与野党迷走の日本政治に活路を見出すことはできるのか。この点は後述する。

総理を目指した理由

政治経済学者 植草一秀 氏
政治経済学者 植草 一秀 氏

 政権終焉の危機的状況に陥った岸田内閣だったが、年が変わり、国民の記憶力低下に支えられて内閣支持率が小幅回復した。サミット日本開催をメディアが喧伝したことが内閣支持率回復を誘導したと考えられる。サミットで岸田首相が大きな実績を残したなら状況は一変しただろう。

 サミットはG7が核兵器廃絶に最重要の一歩を踏み出す絶好の機会だった。サミット首脳宣言で核兵器禁止条約のG7批准の方向性を打ち出していたなら、岸田氏は歴史に名を刻んだはずだ。

  岸田首相は今年3月に福島で開催された「こども政策対話」で、総理を目指した理由を問われた。岸田氏は「総理大臣の権限が日本で一番大きいから」と答えて批判を浴びたが、「やりたいと思うことを実現するには大きな権限が必要だから」とも答えている。

 広島でのサミット開催は「やりたいと思うことを実現する」千載一遇のチャンスだったはず。この機会を生かして「核兵器廃絶」「戦争終結」へと世界を誘導しないなら、総理を目指したのは単に権限のある地位に就くことが目的だったということになる。岸田氏の言動からは、総理になって何か「やりたいことがある」と思わせる姿勢は微塵も感じられない。

 岸田首相がサミットで世界に発信した「広島ビジョン」には、「核兵器は役に立つ兵器である」ことが明記された。G7首脳を招き入れた原爆資料館に、米国のバイデン大統領は「核のボタン」を持ち込んだ。核廃絶を願うすべての人々の心を踏みにじる暴挙だった。

 岸田首相はサミットにウクライナのゼレンスキー大統領を招いたが、日本開催の意義を発信するなら、戦争終結に向けての工程を示すことが必要不可欠だった。しかし、サミットが打ち出したものといえば、ウクライナへの軍事支援の継続と拡大。米国はその後、ウクライナへのクラスター爆弾供与を決定し、ウクライナでの殺戮行為は増加の一途をたどっている。

 日本はクラスター爆弾禁止条約の批准国。米国のクラスター爆弾供与方針を批判し、米国の暴挙を抑止する責任を負うが、岸田首相は米国には一切諫言しない。岸田氏は日本の首相というより、米国植民地総統と表現するのが適切な存在である。

 大志を実現するために首相就任を目指したのでなく、首相になること自体が目的だったのだろう。多くの歴代首相と同様、首相就任後は我が身の安泰を図ることが最大の目標となり、地位を守るために米国に絶対服従の行動を貫くだけの存在に堕す。これでは日本国民が浮かばれない。

(つづく)


<プロフィール>
植草 一秀
(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーヴァー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)=TRI代表取締役。金融市場の最前線でエコノミストとして活躍後、金融論・経済政策論および政治経済学の研究に移行。現在は会員制のTRIレポート『金利・為替・株価特報』を発行し、内外政治経済金融市場分析を提示。予測精度の高さで高い評価を得ている。政治ブログおよびメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。

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