上村建設、繁栄の根幹は『後退は死す』という精神にあり(後)
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2代目上村秀敏社長の時代
2代目・上村秀敏社長は74年に入社した。88年8月に専務、96年6月副社長、2000年4月に社長就任と計画通りにステップアップをした。専務に就任した時点から秀敏氏は「どのような建設会社を築いていくか?」と自問自答していたに違いない。「会社の基本原則は堅持する」という姿勢も確固としていた。たとえば「分譲マンションの受注はしない」ことは大原則にしていた。一方で、平成の初頭には高木工務店のようにマンション受注で工事高を大飛躍させた同業者もいた。
誰にでも迷いは生じるものだ。「デべの下請はしないが、共同事業を手がけてみよう」と決断を下した。そこで同社が競売で獲得した不動産にマンション業者と共同で事業を進めた。だがマンション業者が倒産してしまったことで、後処理に膨大なエネルギーを割かれてしまうことになる。
その経験を踏まえ、原点に戻って賃貸マンション主体の受注に専念するようになる。得意分野を掘り下げることによりシェアを拡大させ、完工高200億円の大台に乗るようになった。秀敏氏が副社長の時である。
秀敏氏は2000年4月に満を持して2代目社長に就任する。2代目なら誰でも「どうしても先代と比較される。2代目はつまらないと言われたくない」と思うだろう。秀敏社長が自分に言い聞かせたのは「完工高200億円は必ず死守する」である。表現を換えれば『後退は死す』という固い信念だ。
社長に就任して200億円を割ったのは、これまで4回しかない。この完工高200億円死守の偉大さは福岡都市圏エリアに特化したことだ(一部、久留米営業エリアがあるが)。また、経常利益10億円を割ることのない業績の推移には感服するしかない。この事実こそ、まさに『芸術そのもの』と表現できるのではないだろうか。
新時代への挑戦
社長業10年を経た秀敏氏は経営者としての円熟期を迎えた。10年以降の同社の業績推移から「別次元の段階に突入した」と判断する。同社の高収益の源泉は業界を先んじた「現場の効率化」=工場生産性アップの導入にある。
具体的には取引業者には事前に年間の予定発注量を通告して段取りを求めるなどの効率化に取り組んだのだ。この工程管理の卓越さは上村建設の武器として植えつけられていった。
ある取引業者の新社屋落成式に立ち会ったことがある。外見ばかりではない、室内の様相にも驚いた。「この設計士のセンスはモダンだ。よほど、売れっ子の若い設計士なのだろう」と想像した。そこで私は取引業者社長に質問してみた。すると、その社長からは「いやー上村建設さんに設計も頼みました。若いしっかりした設計スタッフの方々がたくさんおられます」との答えが返ってきた。
「ハードが卓越したウエムラは設計事務所を超えるソフトも兼備できるようになった」と初めて認識した。これが「別次元の段階に突入した」という1つの指標だ。財務指標に関してはこれまで幾多も指摘してきたから、ここでは省略する。
そして頼もしいのは3代目を期待されている上村英輔常務の存在である。現在、社長室長として組織改革の陣頭指揮に奔走している。取材にもテキパキと持論を展開してくれる。物事をハッキリと断じても嫌味がなく、人に好感を与えることができる人物だ。まずは新時代に適応できる組織改革に成功して経営者としての実績を積めば、鬼に金棒である。
(了)
<COMPANY INFORMATION>
上村建設(株)
代 表:上村 秀敏
所在地:福岡市博多区住吉4-3-2
設 立:1959年2月
資本金:1億円
売上高:(17/10)259億9,789万円法人名
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