2024年11月27日( 水 )

広島サミット後の国内政治 統治能力欠く政権と、自壊した立憲(後)

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政治経済学者 植草 一秀 氏

 被爆地広島でサミットが開催されたが、岸田文雄首相の思い入れによる「広島ビジョン」には「核兵器は有用な兵器である」ことが明記されるとともに、G7はウクライナへの軍事支援継続を決めた。核兵器廃絶とウクライナ戦乱収束に向けての第一歩を印し、サミット日本開催の意義を世界にアピールする絶好の機会を岸田首相は棒に振った。支持率を回復させ解散総選挙を実施する構想が存在したはずだが、サミットを頂点に内閣の再凋落が始動、気後れしたのか総選挙は先送りされた。マイナトラブル、政権内不祥事、災害対策への緩んだ対応などを背景に、岸田首相の求心力は低下の一途をたどる。日本政治刷新の必要性が高まるこの情勢下、今週以降の政治を展望する。

立憲民主党の自壊

政治経済学者 植草一秀 氏
政治経済学者 植草 一秀 氏

    日本政治の刷新が求められている。しかし、政権刷新は手段であって目的ではない。政権刷新の目的は政策刷新にある。政策の基本路線を①平和主義堅持、②原発廃止、③共生の経済政策に転換すべきだ。政策刷新を実現するには、基本政策を共有する主権者と政治勢力が連帯し、衆院総選挙で過半数議席を獲得することが必要である。総選挙で現政権に対峙する勢力が勝利することが、目標達成に必要不可欠なのだ。

 残念ながら、この基本政策を明示できる政治勢力が弱体化している。最大の原因は野党第一党の立民が自壊していること。立民が21年総選挙で野党共闘を否定したところから、同党崩落が一気に加速した。政治の本来の主役は主権者である市民。立民が市民の意思から乖離したことが凋落の原因である。

 立民は17年の総選挙に際しての希望の党創設に付随して誕生した。「希望の党」を立ち上げた小池百合子氏は、民進党からの移籍判断に踏み絵を用意した。「戦争法制容認」を移籍条件にした。安倍内閣を終わらせるための大同団結推進ならば、新党創設に意義があったが、小池氏は旧民進党分断を画策した。その結果として立民が誕生した。

 このことによって旧民主党=旧民進党の「水と油同居体質」が解消されるかに見えた。旧民主党=旧民進党には、既存の自公政治を打破しようとする勢力と自公政治補完勢力が同居していた。09年に樹立された鳩山由紀夫内閣を破壊したのは民主党内部に潜伏した自公補完勢力だった。

 17年の総選挙で勝利したのは立民。主権者である市民は立民を、旧民主党=旧民進党の自公政治打破勢力が分離・独立したものとして支持した。同時に、立民の野党第一党躍進を支えた主役が共産党の選挙協力だった事実を見落とせない。

 ところが21年総選挙で立民が「転向」した。共産党を含む野党共闘を否定したのである。枝野幸男代表(当時)は選挙期間中にこう述べた。

 「『野党共闘』というのは皆さんがいつもおっしゃっていますが、私の方からは使っていません。あくまでも国民民主党さんと2党間で連合さんを含めて政策協定を結び、一体となって選挙を戦う。」

 つまり、共闘の対象は国民民主党と連合で、共産党、れいわ新選組、社民党は共闘の対象でないと宣言したのである。この発言を受けて、野党共闘支持の主権者が立民支持から離脱した。爾来、立民は凋落の一途をたどっている。

真・野党共闘の構築

 21年10月総選挙で立民は大敗。枝野代表が引責辞任した。立民は原点に立ち戻って野党共闘路線を模索すべきだったが、新たに代表に選出したのは泉健太氏。泉氏は同党の「反共産=勝共路線」を一段と鮮明にした。

 その結果、立民は22年7月参院選でいっそう深刻な惨敗を喫した。立民の比例代表選挙における絶対得票率は、21年10月総選挙の11.2%から22年7月参院選の6.4%に半減。泉氏は大惨敗の責任を取って代表を辞任すべきだったが、代表の座に居座った。結果に対する責任を潔く取れない人物が率いる政党が凋落するのは必然だ。

 立民の「勝共路線」を主導しているのは「連合」である。「連合」は、「同盟」や「総評」などが統合して創設された労働組合組織。その連合の実権を握ったのが「6産別」と呼ばれる「旧同盟系労組」である。「同盟」は1960年創設の民社党の支援母体だった。民社党は同年にCIA等の資金援助で創設された。日本に革新政権が樹立されるのを防ぐため、CIAが革新陣営に“隠れ自民”勢力を埋め込んだものと理解できる。

 当時、CIAとKCIAの庇護を受けて活動を活発化させたのが統一教会=国際勝共連合である。同盟は統一教会の国際勝共連合と密接な関係を有した。民社党活動の中核に「勝共路線」が置かれたのである。革新勢力分断=勝共政策推進が「旧同盟」の核心であったといえる。その同盟の系譜を引く6産別が現在の連合を仕切り、立民を勝共路線に誘導していると見られる。

 連合会長・芳野友子氏は、同盟系研修機関の富士政治大学校で「勝共理論」を叩き込まれたといわれる。富士政治大学校第二代理事長は松下正寿氏。松下氏は民社党参議院議員を経て、統一教会が創設した「世界平和教授アカデミー」の初代会長、統一教会機関紙「世界日報」論説委員、日韓トンネル研究会設立呼びかけ人代表などを歴任。『文鮮明 人と思想』という著作もある。

 立民は共産党との選挙協力について、右往左往の「こうもり対応」を示しているが、「勝共路線」と「共産党を含む野党共闘路線」の並立はあり得ない。勝共路線と共産党を含む野党共闘路線はどちらも明確な路線だが、方向性は真逆。真逆の路線を無理やり同居させるところに、無理と矛盾がある。立民を「勝共勢力」と「野党共闘勢力」に分離・分割する以外に、矛盾の解消方法はない。

 第二自民を公言する維新が伸長し、同一小選挙区に自公系候補と維新系候補が複数立候補するケースの増加が見込まれる。このとき、反自公勢力が1人の候補者を擁立すれば、勝利する確率が高くなる。水と油の立民を分離・分割し、新たな野党共闘=真・野党共闘体制を構築することが、日本政治刷新への突破口になる。

(了)


<プロフィール>
植草 一秀
(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーヴァー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)=TRI代表取締役。金融市場の最前線でエコノミストとして活躍後、金融論・経済政策論および政治経済学の研究に移行。現在は会員制のTRIレポート『金利・為替・株価特報』を発行し、内外政治経済金融市場分析を提示。予測精度の高さで高い評価を得ている。政治ブログおよびメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。

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