2024年12月22日( 日 )

再現可能なのか!?福岡城天守閣対談!(中)

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 JR九州初代代表取締役社長で、現在では福岡城市民の会理事長も務める石井幸孝氏。そして黒田藩藩士を先祖に持ち、福岡市市役所で様々な経験を積み、現在は(有)カワセの代表取締役社長を務める川瀬輝彦氏。前回は福岡城天守閣の再現実現の可能性と、それに伴い福岡城、鴻臚館の地理的な優位性、歴史的背景について語っていただいた。今回はさらに歴史を振り返り、博多という街の持つ価値を探っていく。

糸島 二見ヶ浦:こちらも大陸との交流が盛んだったようだが、遣隋使・遣唐使は全部博多から出たと言われている。海を渡った彼らは、多くのものを学び仕入れ、地元に還元していたに違いない。糸島 二見ヶ浦:こちらも大陸との交流が盛んだったようだが、遣隋使・遣唐使は全部博多から出たと言われている。海を渡った彼らは、多くのものを学び仕入れ、地元に還元していたに違いない

 石井 現在、九州自動車道も通っている博多~水城間ですが、あれはそのまま昔の防衛線だったんですよ。中国、「万里の長城」の福岡博多版とでもいいましょうか。
 川瀬 博多といえば商人の町といったイメージがありますが、防衛拠点としての役割も担っていたわけですね。
 石井 どちらかといえば、福岡市の方がその役割は強かったと思います。博多の方まで伸びてきてはいるものの、川瀬さんがおっしゃったように、基本博多はやはり商人の町。時の中国側から見た場合でも、博多は経済の自由特区といった印象があったはずですよ。
 川瀬 その経済自由特区といった役割が、現在まで続いているわけですね。
 石井 戦国時代に入っても、博多という町だけは中央のコントロール下にあったとはいえ、「俺たちの町なんだ」という気概を持って、自由な交易の場であり続けていたわけです。
 川瀬 長崎でいうところの出島だったわけですね。
 石井 博多も確かに対中国を主として、海外との交易の場になっていましたが、長崎の出島が中央主導で作られた場所であることに対して、博多はあくまでもローカル。地元主導の場だったんです。
 川瀬 地元愛が強いんですよね。福岡城天守閣再現への期待も自然と高まるわけですが、今まで話してきたような歴史的背景、経緯をご存知ない方も多いんですよね。この前福岡城へ行ったんですが、若い女性が2人、西側を見て、「わぁ、福岡ドームが見える!」と驚いているんですね。あそこからは福岡タワーも大濠公園も見えます。防衛拠点としての役割もあるわけですから、福岡の街を一望できるのは当然なんですが、やはりそういったことを知らないであの光景を見ると驚かれますよね。私はそういった新鮮な驚きをもっと市民の間で共有できれば、もっと天守閣再現の気運は高まっていくと思います。
 石井 まずは現地に足を運んで、ぜひ歴史の一端に触れてほしいですね。


 防衛の拠点として、グローバルな交流を可能とする経済自由特区としての福岡・博多。そんな多機能都市を見守り続けたラウンドマークとしての福岡城に、天守閣がないままというのはやはり寂しい。まずは現地に足を運んで、天守閣が必要か否か、お2人の教えてくれたことも思い起こしながら、じっくりと考えて見てほしい。

(つづく)
【代 源太朗】

 

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