2024年12月23日( 月 )

55年連れ添いの伴侶の死から何を学ぶか(7・番外編)身をもって知る医療側の無神経さ

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恐ろしい小細胞肺がん

    毎日のように友人知人の訃報、体調不良の情報が飛び込んでくる。その度にこちらは気が滅入ってしまう。先週も気が重くなる憂鬱な場面に直面した。

 不動産業を営むA。先代は城南区で農業を営んでいたが、2代目のAは土地を活用した不動産業へと営みを替え、努力してビル15棟(そのうち、賃貸マンション200所帯)を経営するまでになった。筆者にとって非常に尊敬できる経営者であった。ライオンズクラブの活動も熱心に行い、65歳になりクラブの要職に就いていた。

 1週間前、何か悪い予感がした。携帯に電話するが出る様子がない。3回目で声がした。女性の声で奥様だった。「コダマさん!もう夫は話せません」と涙声である。「病名は何ですか?」と尋ねると、「医者から小細胞肺がんとの烙印を押されました。ステージ4です」との回答である。肺がんの組織型は大きく分類すると4に分けられる。その中で、小細胞肺がんは特に悪性度が高い。手術が遅れるとまず100%死に至る悪性癌である。兎に角、転移するのが早い。悔しいのはAが検診に無頓着であったことだ。それが命取りになったのだ。

悦子の死に立ち会ったことで相談殺到

 Bからは「俺はどうもALS(筋委縮性側索硬化症)のようだ。奥さんと同じ病気のようである」と相談があったのは2カ月前のことである。当初は「容態からして別の病気ではないか?」と疑問を抱いていたが、病気の進行状態を聞くとともに「やはりALSだな」と確信した。このような相談が最近、筆者のもとに殺到するようになった。嬉しいことではない。こちらも必死で相談に乗るようにしている。

 Bは体の不調を感じ始めた当初から、病気の正体を知るべく、名の知れたあらゆる病院で診察を受け、とくに血液検査を行ってきた。検査結果が出るとBは先生に、「病名は何でしょうか?」と尋ねる。しかしどの先生も「すみません。わかりません」と平謝りするだけであった。当然、治療方法についての助言もない。Bはますます、精神的に弱ってしまう。

 末期になってある病院で血液検査を1週間行ったところ、ようやくALSと判定できる血液指数が現れた。しかし、もうその時に言われたのは「どうもALSのようですな。手の打ちようがありません」というコメントのみ。病名が確定した段階では、もうすでに寿命も差し迫っており、本人も家族も覚悟しなければならないのだ。手の施しようがないという病気が、現代の医療水準でもまだまだあるのだ。

介護費用が高いのは、介護士の数が多いだけ

 連絡が途絶えていたCから「父親が1年間の闘病生活の末に亡くなりました。もう半年になります。コダマさんの奥さんの闘病記事を読みながら頷くことばかりです」と報告してくれた。脳梗塞で倒れて3カ月経つと父親との意思疎通が難しくなったそうだ。そうなると医療付きの介護施設で治療するしかない。だが、介護士のレベルがあまりにも低いので、Cは憤慨して値段の高い医療付き介護ホームに父親を転院させた。Cが悟ったことは、「介護費用が高ければ介護のレベルが高いのではない。介護士の数が多いだけだ」とまだ怒りは収まらない。我が身に迫らないと医療現場の現実が分からない。

工夫ゼロの食事

 Dの顔つきが変わっていた。温厚な2代目であったが、顔つきが険しくなった。実父の入院生活に対峙しながら半年になる。「病名は老人性うつ病かな?」と漏らした。「このままでは父の死を待つだけだ」と怒り心頭で声が震えている。「父が食事を拒絶している。病院側はメニューを食欲がわくように改善することは全くなく、相変わらず同じような食事を出し続ける。このままでは衰弱死するのは間違いない」と断じる。Dも悦子レポートを精読しているとか。残りを一挙に書き上げることにする。

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